「 先月で24歳になりました 」(後編)

シェアしていただけると嬉しいです!

☆ 今回の主な内容 ☆
前号のコラムの続きをお届けいたします。先月18日は私の誕生日です。早いことに24歳になりました。今自分がおかれた状況と今後のことについて、自分なりに考えてみました。と言ってもあまり難しく考えず、軽い気持ちで書いています。いつもとは違った趣向のコラムになりますが、誕生月ということで、特別にお許し下さいませ。m(_ _)m


起業や企業家、経営などをテーマにメールニュースを発行したりホームページをつくったりしていると、それを見た方から、ときどき相談のメールをいただくことがあります。
具体的な事業アイディアを持ってきて意見を求められることもありますが、何をすればよいのかわからない、とか、どんなセミナーに出たら良いのか、といった質問をいただくこともあります。メールの冒頭から、「僕はいま大学生です。卒業したらすぐに起業したいと思っています」とうち明けてくる方、「はじめまして。ところで僕は、大きな野望をもっています。大きなビジネスをしていきたいです」と元気に書いてきてくださる方、実にさまざまです。起業でなくとも、たとえばプロサラリーマンになって会社を変えてみせたいという人もいますし、政治家になって日本を変えたいという人もいます。やる気もなく関心もない若者が多いと言われるなかで、実は意外と、良い意味での野心と意欲に満ちあふれた若者も多いということを感じます。
以前、ある方が「若いということは、ただそれだけで素晴らしいことだ」と言っておられましたが、可能性が大きく、選択肢の幅が広いという点で、若いということは実に「面白い」ことだと思います。
トム・ピーターズの本(『トム・ピーターズの起死回生』TBSブリタニカ、1998年)に、将来予想される、採用面接の光景が描かれています。そこにこんなくだりがあります。採用する側の人間のコメントです。
「え、21歳ですか? これは責任重大なポストですから、もう少しお若くないと……」
だんだんそういう場面も出てくるようになるかもしれません。
しかしながら一方で、若さには、若さゆえの問題点をはらんでいることも見ておかなくてはなりません。
先日、お世話になっている方から、「アメリカにおける大人と子供のパソコンに対する位置づけの相違」に関する簡単なレポートを見せていただきました。それを見て私が思ったのはこういうことです。
非常に乱暴におおざっぱに言うと……
子供〜若者 技術的判断力が並外れた段階にまで簡単に行ける。
社会的判断力は、ゆっくりにしか成長しない。
大人 技術的判断力は、ゆっくりにしか成長しない。
社会的判断力は、ほぼある(?)
ということです。
そして、若者の会社、とりわけ学生ベンチャーがなかなか成長しなかったり失敗しがちであったりするのは、技術的有能性にばかり依拠してしまい、「社会的判断力は、ゆっくりにしか成長しない」という点への配慮・対策に欠けている部分が大きいからなのではないでしょうか。
学生時代に会社を起こして現在成功されている一例として、プラザクリエイトを挙げることができます。同社の大島康広社長は、以前講演会でこんなことを言われています。
「若いということは、それだけで強いことだ。しかし同時にそれは大きな弱みでもある」
大島社長が採った対策は、自分自身が社会的判断力を付けるべく努力する、ということはもちろんですが、充分な社会経験が備わった方を役員に迎えて味方につけるということもされているのです。
長い人生経験を積まれた方には若い人には備わっていない知恵があります。ビジネスの最終的な意思決定の大半は依然として50代、60代の方々によって行われていたり、また、良きにつけ悪しきにつけ、旧来の伝統的な対人関係によるところ小としない環境にある以上、若さだけで突っ走ることはできません。
つまり、やはり大事なのは「プロ意識」だろうと私は思います。もっとわかりやすく言えば「若いことに甘えてはいけない」ということです。さらにそれは、「勝ち誇って自慢してまわる」という意味でのプロ意識ではありません。自分の <位置> をしっかり見て、高い目標を持ち、そのための手段を策定したら一身になって努力するという、そういう意味でのプロ意識です。
「会社が若いんだから大目に見てくれるだろう」
「社長が若いんだから許してくれるだろう」
こうした考え方が、会社を倒産に導くのだと思います。
以前、本誌 “Samsul’s Choice” のコラム「ベンチャー企業の成功と失敗を分けるもの −自主性と計画性− 」(No.14 : 98年2月6日号 )の中で私は、ベンチャーをやるにしてもフランチャイズをやるにしても、重要な要素は「自主性と計画性」ではないかと書きました。私はさらに、年齢にとらわれることのない「プロ意識の追求」を加えたいと思います。
そしてこれは、起業家に限ったことではなく、サラリーマンの立場から考えてみても同じことが言えます。まず「若いから、年齢相応の、ある程度のレベルの仕事までしかできません」と言う人がいます。確かにそういう面もあるかもしれませんが、これを自ら宣言して努力をしないならば、いったいどんな経営者が彼を雇うというのでしょうか。端的に言えば、自分で自分のことを使えないと思っている人のことを誰が雇うのか、ということです。
また、プロ意識の追求をしているものの、それを発露させることができないと言って、周辺の環境の悪さを原因にする人もいます。「使えない人間と見なされているが、それは使えない状況におかれているからだ」という言い方です。しかし、そう思っているのは本人だけで、雇う側から見れば、「使えない人間」も「使えない状況に置かれているがゆえに使えない人間」も、同じに写ります。
厳しい見方をすれば、「プロ意識の追求」が阻害されるような環境にいるのなら、現在の環境を変える努力をすべきであり、それがもしどうしても無理だと言うのなら、脱出すべきではないか、ということです。そうでないと、「私は本来は使える人材だ。たまたま環境が阻害しているだけだ」と言っても、外から見れば「使えない人材」と同等に見られかねません。
ただ運命のいたずらとでも言うべきか、ときとして、そういう人を見抜いて、引き抜いてくれる人もあるようです。適切な方向に向けて頑張り続けている人は、困ったことが起きたときに、それを解決に向かわせるヒントを与えてくれたり、その原動力となるキーマンに会うもののようです。何を根拠に、と問われると困るのですが、いろいろなベンチャー企業家たちの経歴を読んできて、また自分自身の経験を振り返ってみても、そういう傾向があるような気がするのです。ただこれも、ただ他力本願的に待っているだけではダメで、プロ意識の追求があってはじめて享受する可能性が生まれることは言うまでもありません。
自主性と計画性、若さに甘えることのないプロ意識の追求。私はこれらを今後の一つのテーマとしていきたいと考えています。

スポンサーリンク

あわせて読みたい関連記事




スポンサーリンク







シェアしていただけると嬉しいです!

フォローする

スポンサーリンク