私の家にはテレビが無い(今ある環境に感謝して得られるもの)

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私の家には、テレビがありません。
もう相当までに長い間、テレビの無い環境で生活しています。
テレビを置いていないのは、テレビ嫌いだからではありません。
本来、私はテレビが大好きです。
つまらない番組であっても、ついつい見てしまう程です。
でも、テレビは置いてありません。


そもそもは、
たまたま起業したばかりで、
テレビを買うほどのお金がなかったからなのですが(笑)、
この生活がとても快適なので、そのまま続けています。
テレビが無いことで、いろいろと思うことがありました。
経験の量も増えました。ありがたいと思います。
だから総合的に快適なので、テレビの無い生活のままなのです。
 
 
     □     □     □
 
 
テレビはどの家庭にもありふれた存在ですが、
テレビに限らず、
「始めからあたりまえのように存在する」というものは、
人の感覚をマヒさせてしまうところがある
ように思います。
当たり前の環境に慣れることで、
そのありがたみがわからなくなるのです。
テレビの無い環境にいて、はじめて、
テレビの意味に思いをはせることにもなります。
テレビのある幸せ、テレビの無い幸せ、
それぞれに想いを致すことになります。
 
 
     □     □     □
 
 
たとえば電話にしてもそうです。
以前、インドネシアのバリ島で、
私は電話の無いアパートに住んでいた経験があります。
携帯電話が普及していない環境の時代です。
もちろん、インターネットもありません。
アパートの1階にある受付フロアには、
受信専用の電話だけはありました。
でも、発信することのできない電話です。
この時も、電話のある幸せを考えることができました。
電話の無い幸せについてもそうです。
(なにしろ、携帯電話もなく、
 一番近くの公衆電話に行くまで、徒歩20分以上も
 かかるような環境だったのです・・・。楽しかったです)
 
 
     □     □     □
 
 
失って初めてわかるものがあります。
意図的に、そういう環境に身を置いてみることで、
意外な発見があるものです。
当たり前のように要求していた自分が恥ずかしくなることも
あるでしょう。
もらって当然のように思っていたのに、
それを与えるには、途方もない努力が必要だったことを知って、
自らの傲慢さに、初めて気づくというようなことも、
もちろん出てくるでしょう。
 
 
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そんなこと、知る必要はないのかもしれません。
でも、世の中というものが、
本来は、ありがたすぎることだらけで構成されている

このことに気づいているかどうかで、
生きるスタンスも、感動する心も、人との接し方も、
いろいろな密度が大きくかわってくるように思うのです。
 
 
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「もらって当然、受けとって当たり前、味わってしかるべき」。
そういうマインドは、自分を小さくします。
あらゆるものであふれかえる世の中。
あたりまえの背景に思いを致すことによって、
「あたりまえのモノ、コト」に感謝をする

一度そのような環境に身を置くことで、
自らすでに与えられている幸せな環境に気づくこと。
こうしたことが、
人生を切り開く新しい力を生み出してくれるに違いありません。
 
 

 
 
 
 
このコラムは、2007年11月22日に配信したメールマガジンを転載したものです。
 
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 2007年12月21日            渡邉 裕晃

 

 

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