「ら」抜き言葉と、言霊の力(1)

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「見られる」 → 「見れる」
「着られる」 → 「着れる」

これらは一般的に、「ら」抜き言葉と表現されます。
間違った用法なのに、この数年で、すっかり定着してしまいました。
この言語環境の変化は、まさに驚くべき変化だと言っても良いでしょう。
私が子供の頃は、「ら」を抜いて発音する人は、
記憶の限り、ほとんど皆無でした。
でも今では、すっかりみんな、
「見れる」「着れる」「来れる」・・・です。


 
 
     □     □     □
 
 
私は「言葉」が大好きで、
言語に対しては、人一倍に敏感になります。
これは、
私が幼少期に2つの言語をごちゃまぜにして育ってきたことが影響しています。
小学校に入り、
同級生たちの日本語の語彙力の豊富さに驚いたことから、
私は、半ば「意図的」に、日本語に注目してきました。
私が「ら」抜き言葉に対して違和感を覚えるのも、
このことが大きく影響しているように感じます。
私は「ら」抜き言葉が、どうしても好きになれないのです。
間違っているから、とかではなく、
第一、音が美しくありません。
身体にしっくりこないのです。
 
 
     □     □     □
 
 
言葉は生き物です。
時代によって、言葉は移り変わっていきます。
永遠に正しい文法というものはありません。
そういう観点からすれば、
私が「ら」抜き言葉という変化に同意しきれないことは、
すっかり中年オヤジになってしまったことの証左なのかもしれません(笑)。
どうして同意しきれないのだろう?
これは、私がずっと考えてきたテーマでした。
この違和感は、何だろうか? と。
 
 
     □     □     □
 
 
最近になって思うようになったのは、
「そこに言霊を感じないから」ということです。
言葉としてのパワーが感じられないのです。
言葉というものは、
人を生かしもすれば、人を殺しもします。
言葉には、特有のエネルギーがあるものです。
これを「言霊」と言います。
例えば、腕相撲のような運動勝負をするにして・・・、
良い言葉を想念しながら臨む時と、
悪い言葉を想念しながら臨む時とでは、
発揮できるパワーの質に変化が生まれ、
おのずから結果が異なってくるという話があります。
言葉には、エネルギーがあるということです。
 
 
 【このテーマ:次回につづく】
 
 
 
 2008年10月24日             渡邉 裕晃
 
 
サムスル
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