スラバヤでの同時多発テロを、どのようにとらえるべきか

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今日の朝、インドネシア第2の都市スラバヤで、連続爆破テロが起きました。3ヶ所の教会で発生した同時多発テロ(厳密には時間差がありますが)で、警察が総力をあげて調査中の案件です。

爆発があった3ヶ所の教会は、こちら。

(1) Santa Maria Tak Bercela(Ngagel Madya通り)
(2) Gereja Kristen Indonesia(Diponegoro通り)
(3) Gereja Pantekosta Pusat(Arjuna通り)

午前7:30に、サンタマリア教会(Santa Maria Tak Bercela di Jalan Ngagel Madya)で発生。その5分後に、さらに2つの教会で爆発があり、1つは、インドネシアキリスト教会(Gereja Kristen Indonesia (GKI) di Jalan Diponegoro)。もう1つは、ペンタコスタ教会(Gereja Pantekosta Pusat di Jalan Arjuna)と。

11:05現在で、合計9人の死亡者と40人の負傷者が確認済み。とても痛ましい事件ですが、これをどうとらえるべきか・・・というのが今回のブログの趣旨です。


【画像:インドネシア主要メデイアKompasより】




ある程度は予想された範囲内

報道記事によっては「あの安全なスラバヤが・・・」とか、「いままでテロが起きなかったような都市なのに」という枕詞をつけて報じる記事もあるかもしれません。

でも冷静に述べるならば、スラバヤでテロが起きるかもしれないというのは、つぶさに現地のニュースを見てきた人であれば、ある程度は予想できた範囲内です。

例えば、ISIS関連で逮捕される事例が東ジャワではいくつかあり、「東ジャワは危ない」という声は実際に起きていました。警察が摘発を続けてはいるものの、いくつかのニュースを見れば東ジャワにおける監視が強化されている姿勢は充分に感じることができ、東ジャワで何かが起きる可能性は充分に想定されるものでした。

逆に言えば、何かが起きないように頑張っている姿勢は、充分に伝わっていました。

しかも、ちょっとはしょりますが・・・、彼ら団体の組織力学から判断すると、上部組織に認められなければいけないという状況の中、何らかの行動を示さなくてはいけないという事情もありました。そうした中では東ジャワで何かを示す、ということは充分に想定されたことだったと私は思います。

一方で、最新のニュースを見ると、今回の同時多発テロは、一家族によるものだとの報道も起きています。1つの教会にはお父さんがアタックして、もう1つの教会にはお母さんと小さな2人の子が(12歳と9歳)。そして3つ目の教会は、18歳と12歳の子が。もしそれが本当なら、なんとも痛ましい事件としか言いようがありません。

エンツェンスベルガーの地下鉄テロの話

今回のテロで亡くなられた方には申し訳ない表現になりますが・・・、でも、そもそも人間というのはいつどこで亡くなるか、わかったものではありません。平均寿命が80といったところで、80まで元気かつ健康に生きられる人というのは、本当に限られているわけです。

「テロ」についても同じことが言えて、いつどこで発生するか、どこで出会ってしまうかはわかりません。「まさか」と思うようなことが日常で起きてしまう。それが人生です。(すみません、ものすごく冷たいことを言っていることは承知しています)。

ドイツの作家で詩人であるエンツェンスベルガーは、その著書「冷戦から内戦へ」で、(私の記憶では・・・)もはやこうした現代においては、大都市におけるさまざまに混み入った地下鉄内でテロを起こそうと思えば、甚大な被害がもたらされるのだと書いています。その数カ月後に、地下鉄サリン時間が発生しています。

テロというものは、命を賭してやろうと思えばいくらでもできる。そういう部類の行動なんですよね。「まさか」と思えるようなことが、いつでも起きる。それが「現代のテロ」とも言えます。

どうとらえるべきか

警察コメントによれば、今回の犯行は「自爆」とみられるとのこと。

警察は市民に対し、冷静になるようにコメント。ソーシャルメディア等の事故現場写真を拡散させたり、過度に不安になることは、テロリストを利することになると。恐怖に陥ることこそがテロリストの目的であり、我々は恐怖に陥ってはならないと。

また、一部の評論家によれば、今回の犯行は2016年1月のジャカルタテロに関与したISIS系の団体「Jamaah Ansharut Daulah (JAD)」に関連しているとも言及されています。

この手の事件が起きるといつも思うのですが、「テロなんて起こしても意味ないじゃん」とか、「宗教と関連付けられて、けしからん」とか、、いろいろなことが言われます。私もそれは王道だと思います。

でも・・・、現実問題として、そうしたことを言っても何にもならない現実があることも事実。とりわけ今回の場合、どうして家族そろって手分けをしてテロを起こそうと思ったのか、その背景が気になって仕方ありません。(これは今後の分析に大いに期待)

今回は、キリスト教の教会が狙われたかたちですが、かつてのような宗教対立のような報道が起きていないことは幸いなこと。今回の事件は宗教とはまったく関係がない(少なくとも私が知るかぎりにおいては)ので、その点だけは強調しておきたいと思います。

一方で、「人はいつ死ぬことになるかわからない」という現実問題もあります。これは本当に大きくて、でもあまり焦点が当たらない問題で・・・。テロは、避けようと思えば避けられる問題かも知れませんが、でも、人の死は、いつ起きてもおかしくないわけで。こうした事件が起きる度に思うんですよ。人の人生は、いつ終わるかわからないもんだなと。

このテーマは語ると長くなるので、ここやめておきますが、今回のスラバヤのテロ。1家族が手分けして・・・なんて、闇が深すぎます。少しでも早く真相が究明されることを期待するばかりです。

なお3つの教会の位置関係は、次のとおりです。

(参考:samsul.comブログから)
 
■2018年5月14日up
 テロ事件が起きた時、学校の教師はどのように子どもたちとふれあうべきか(インドネシア教育文化省がまとめた7つ指針)

■2018年5月14日up
 テロ事件が起きた時、親はどのように子どもたちとふれあうべきか(インドネシア教育文化省がまとめた6つ指針)

サムスル
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時の運と人の縁を極める日々の記録 】  渡邉 裕晃
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