丸善の「書店内書店」という挑戦、「松丸本舗」というプロジェクトをとりあげた今回のコラム。前回コラムの続きになります。もし前回コラムをご覧になっていないようであれば、ぜひ、こちらをご覧下さい。
【写真:「松丸本舗」のロゴ】
目次
現在のリアル書店、スタッフの対応は?
今は書店で、「●●についての本を探しているのですが・・・」と聞いても、アルバイト店員が「はぁ・・・(わかりません)」というくらいで、具体的な書名や出版社などが無ければ探せない店が多いのではないでしょうか。
そこには、オンラインブックストアとしての機能は提供できても、目利きとしての書店機能は実現できていません。
そこで買うのは誰か。それは「オンラインブックストアを使うのが面倒くさい」人たち。
(でも、そうした人たちが今後増えていくとは思えません)
「具体的な書名がわかれば、ご注文を承りますよ。在庫が無くても、1週間くらいで入荷しますので」と言われたところで、「アマゾンなら明日届くだろ!」と突っ込みを入れたくなります(笑)。
「もっと本は遊びたがっている」というコピーの重み
それに対して、「この本屋に行けば、何を読むべきかを教えてくれる」「この本屋なら、新しい世界の攻略法を書籍群でもって教えてくれる」・・・もし、そんな本屋があれば、そこは「行くべき本屋」「買うべき本屋」になるはずなのです。
「松丸本舗」の掲げるテーマ、「もっと本は遊びたがっている」というコピー。
【写真:「本はもっと遊びたがっている」】
まさに、本が次なる世界を招来する。新しい視野を広げてくれるような文脈をもった書店、ということです。
普通の小売業でやっているマーケティングをさぼっていた
実は、このことは、今回の「松丸本舗」にチャレンジした、丸善の社長自身が、いみじくも、あるインタビューの中で語っています。
(本が売れない状況に関して)「ネットの浸透など不振の理由は色々あるが、我々の立場で言えば読者と本の出会いの場である書店の提案力の弱さが一因。普通の小売業でやっているマーケティングをさぼっていたと反省している」 【日経2009/10/25朝刊「そこが知りたい」、丸善社長、小城武彦氏インタビュー】 |
ここでいう「書店の提案力」というもの。これは、いたずらに新刊本を並べ立てることでもなければ、売れる本だけを陳列していくことではありません。
哲学ある書店、そしてダニエル・ベルの名言
昔の個人スタイルの書店では、こうした哲学をもったメッセージある経営ができていたところ、少なくなかったはずです。
これが減った理由としては、
・書店の大型化 ・効率的な経営、売れる経営を重んじる傾向 ・売れる本を中心に攻めなくては、書店経営が立ち行かなくなってきた現状 ・出版点数の激増により、円滑な在庫回転も踏まえると、 新刊本の販売を重視せざるを得ない状況 ・売れにくい本を陳列することのリスクの増大 ・ある分野を多読で攻める目利き人材が書店経営からいなくなった |
など、いろいろな事情があるのかもしれません。
実は、これは読者にとっては非常に不幸なことで、これがあまりに進捗した結果、書店や出版社自体の首を絞めるかたちとして、現状を迎えているというのが実情ではないでしょうか。
政治が「公正」に追いやられ、経済が「効率」に追いやられたとき、文化は「価値」を矛盾をもってかかえざるを得ない。 という、ダニエル・ベルの言葉は、深く考えさせられるものがあります。
つまらない本ばかり読んでいると、つまらない人間になってしまう
「人間は読んだ本に編集される」
「松丸本舗」に行くと、その言葉が大きく掲げられています。
これは非常にその通りで、twitterのタイムラインにいかなる人物のツイートを並べるか、それによって、受け取る情報や世界の見え方が変わってくるのと似ているかもしれません。
そして、読んだ本に編集される以上、「つまらない本ばかり読んでいると、つまらない人間になってしまう」宿命をもっています。
すると、新たな世界を示してあげたり、新鮮な文脈をもとにして、次なる世界を見せてあげる水先案内人としての「こだわりの書店」というものは、素晴らしい人物を輩出していく機能をもった偉大な場所なのだとも言えます。
いたずらに売れる本を陳列することだけが、優れた人を生み出すわけではありません。
ビジネスとしての成功と、文化的な貢献
「松丸本舗」を見ると、新しい本ばかりでなく、古い本も、非常に美しい文脈のもとに網羅されています。
「このジャンルには、こんなすごい本が存在するのか!」と思ったり、「あの定番本が、こんなジャンルにも入るのか!」と驚いたり。軽い本が存在せず、どれも濃厚で深い書籍ばかり。
本棚の棚には、松岡正剛さんの手書きメッセージがあちらこちらにあります。
例えば「日本は『想像の共同体』に入れているのでしょうか? これ読もう!」とか書いてあるのを見ると、「えっ、どの本を示しているの? どんな文脈なの?」と、どきどき、わくわくしてしまいます。
(この命題って、かなり深いですよね・・・)
そこには、軽々しい新刊本が陳列する余地を与えないのです。
【写真:本と遊ぶことの深み、人生に与える読書の深み】
正直なところ、軽い本を連発している著者がここを見たら、ビジネスとして成功していても、文化的に貢献できているか、恥ずかしくなるのではないかと信じてやみません。
誰でも読める存在にするということの意義と弊害
そこで思うのは、「書物や書斎に対する畏敬の念は、かく生まれる」ということ。
近年の軽い内容の出版物の貢献は、従来の書籍が、一定の教養や素養が無ければ読めなかった存在だったものを、誰でも手軽に読める本へ変貌させたこと。教養や素養があることを前提にした本が多かったということは、それだけ余計に、中身が詰まっていたということでもあり、かつまた、読者に考えさせる契機を多分に与えていたということでもあります。
そうした事前の準備がなくても、「誰でも読める本」が増えたということは、それはそれで功績です。ですが、そんな功績はあったにしても、その半面で、「書物」というものの価値を、いたずらに矮小化してきたのではないか・・・、そんなことすら思わせてくれます。
誰でも読めるように、ということは、「知っている人に対してこそ語れる深み」は、そぎ落とされ、考えながら読み進めていく契機すら、削りとってしまったという、マイナスの副産物があるということ。
誰でも楽しめる存在にしても質の劣化を起こさなかった劇団四季
これは、一定の教養が無ければ楽しめなかった演劇を「誰でも楽しめる存在」にした劇団四季の功績に似ています。
でも、劇団四季の場合、質へのこだわりがあったために、質の劣化を招くことがありませんでした。書店の取り組みとは対極的ですね。
書籍は商業主義的案側面を濃厚にしたため、質のこだわりがなおざりになり、結果として、質の劣化を招いたことは、誰もが認めることでしょう。(この議論をすると長くなるので、ここでやめますが)
そうして総合的に見ると、「松丸本舗」は、本来のリアル書店が担うべきものを示したものだと言えます。丸善社長がオンラインブックストアのアンチテーゼとして実験的に展開した今回のプロジェクト。非常に意義深いものだと言わざるを得ません。
【このテーマ:次回につづく】
2010年2月1日 渡邉 裕晃
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