(玄田有史、曲沼美恵著、幻冬舎、2004年7月10日発行) → アマゾンで購入
☆ 今回のポイント ☆ <簡単な内容紹介>
「フリーターでもなく失業者でもなく」という本書の副題の通り、働こうとせず、学校にも行かず、かと言って、ひきこもりでもない、そういう若者たちがテーマの本です。
受理された件数、10年で約11倍超。
・1994年: 217件
・2004年:2,491件
東京都児童相談所が児童虐待として受理した件数が急増していることをご存知でしょうか? 1994年の217件に対し、2004年には2,491件と、ほぼ11倍超になっているそうです。
虐待や育児放棄をされた子供たちは親から離れることになり、「乳児院」や「児童養護施設」と呼ばれる場所で共同生活を送ることになりますが、現在、約3,500人もの数になるとのこと。
しかも、そこを出ても一人で社会の中で一人前に働けるようになる子供はそれほど多くないそうです。そして、義務教育を終えても一人でやっていけない、そんな子供たちを自分の力でやっていけるよう支援する、言わば、第三番目の施設として、「自立援助ホーム」というものがあるようなのですが、必要児童数の三分の一しか入居できていないと言います。
よくよく考えてみれば、そういう需要があることは想像に難くないわけですが、私はつい最近まで、このような現状を全く知りませんでした。第三の施設まであるとは驚きでした。
言ってみれば、「隠れた縁の下の力持ち」というか、隠れた重要な役割を担っているわけですが、逆に見れば、人知れぬ悩みを抱えた人たちが大勢いて、サポートされていない子供たちもたくさんいるということですね。今回ご紹介する本で「ニート」と呼ばれる人たちも、実は似たような存在なのかもしれないと思いました。
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ニート(NEET)とは、英語の文章( “Not in Education, Employment, or Training” )の頭文字をとって略したもの。
「フリーターでもなく失業者でもなく」という本書の副題の通り、働こ うとせず、学校にも行かず、かと言って、ひきこもりでもない、そういう若者たちのことを指しています。
本書は、この「ニート」に焦点を当て、その実態の解明に努力するとともに、その解決策を探ろうとしています。
ニートたちの実態を知るまでは、私は「これは、単なる甘えだ!」と思っていました。でも、若い世代であれば、きっと誰もが陥りかねない、まさに身近な、言わば「隣のニート」なのだろうなと思い至りました。
実際、私の知人にも、ニートに近い状態の友人をもつ人がいます。
でも、本書をよんで、そういう状態の人が実際に存在して、しかも本人は自らがなかなか行動できずにいることについて苦しんでいるらしい、と。とても奇異に感じるけれども、実際そういう人たちが一定数いるのだということがわかりました。その人の友人だけではなかったのだ、という発見です。
ニートの誕生と増加の原因は、決して一つではないと思います。何が原因なのかを早急に結論づけるのは危険だと思いますし、何も言っていないに等しいという謗りを免れないとは思いますが、でも、社会の物質的豊かさの増長や、コミュニケーション形態の変容も、強く影響しているものと感じます。
となれば、今後も増えていく可能性はあるでしょうし、まさに急速な発展を遂げている諸外国でも、いびつな成長スタイルのあだとして、こうした問題が出てくるだろうことは、想像に難くありません。
本書では、原因と解決を探ろうとしていますが、決定的なものは出せずにいます。ただ、その原因の萌芽を、若い時期におとずれるものと見て、社会活動への積極化をポイントとしているところは、それほど的をはずしていないものと思います。
近年はやってきている、大学生「インターン」の中学生バージョンを、事例として紹介しています。大学生になってからでは遅い、と。もっと前にやるべきだと言います。
「社会に学ぶトライやる・ウィーク」というもので、5日間以上の期間に渡る職業体験をさせるプログラム。これを全県的な取り組みで行っているのは、日本では、兵庫県、富山県のみだそうです。
これを一つのケーススタディーとして、中学生たちの態度変容をみて、その教育効果の高さを示しています。
そこからうかがえるのは、時代の変化に、教育機能(学校+社会)がついていけずにいるということ。そのゆがみの一部が「ニート」という問題として、実際のかたちとしてあらわれている実態がうかびあがります。
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本書では、ニートたち、複数人のインタビューも紹介しています。正直に言って、無責任としか思えないような発言や、理解不能なコメントも飛び出します。「こりゃ、文明病だな・・・」と片付けたくなる範疇ですら、あります。
ただ、ふざけているのではなく、実に真剣で、熱心なことが伝わります。
新しい人たちか・・・と思いました。
努力が足りないとか、人生を舐めているとか、いくらでも言えるのですが、「そんなのは贅沢病だ!」と言ったところで、本人たちはある意味で贅沢社会の被害者みたいなもの。だから、言ったところではじまらないのだと感じました。
「健康で文化的な最低限度の生活を送る権利」が確立されず、いやでも地面の冷たさを知らされて生きてきた人たちなら、ニートという状態はありえないと思います。
新しい人たち。そしてそれを生み出したのは何だったのか。
いろいろ考えさせられるテーマです。
若い世代にかぎっていえば、ニートの人口は、失業者よりも多い可能性があると指摘されています。こういう人たちがたくさんいることも自覚し、闇雲に「そんなのは甘えだ!」とつきはなさずにつきあっていく必要があるのだろうと思います。
時代が変わっている、ということです。
「あんなに真面目な生徒だったのに・・・」とか「東大まで行ったのに・・・」とか、いつまでも眠たいことを言っているのは止めましょうよ、ということです。
失業者対策は話題になりますが、若年層ではもっと多い可能性があるというニート対策については、それほど大きな世論とは成り得ていません。ただ、その潜在的脅威に備える機運は、徐々に出て来ていると思います。
政府もニート対策に、重い腰をあげはじめています。
例えば、民間企業でも一助となるべく、動き出しているところが見受けられます。利益よりも社会貢献性を打ち出した事業だろうと思いますが、私は、シナジーなども考えると、意外と意図せざる結果として多大な利益を生み出す事業にまで発展していくのではないかとすら感じています。
(余談になりますが、経済なき道徳は陳腐であるという二宮尊徳の言葉を想起してしまいますね)
ちょっとズレるかもしれませんが、例えば、ワタミの渡邉美樹社長による、郁文館学園の経営スタイルであったり、今月スタートした、エン・ジャパンの新サイト「[en]本気のアルバイト」(正社員登用ありのアルバイト情報のみを集めたサイト。サイトコンセプトは、こちら)などです。
「社会に学ぶトライやる・ウィーク」も含め、こうした新しい取り組みは、面白い可能性を秘めているものと思います。教育も経営も子育ても、長期の「時代」を見据えた視点が重要だということです。
ただ、最後に本書に苦言を呈すると、統計の解釈に恣意性が感じられる点および、主題と解決策との因果関係に飛躍があったりする点などが、要注意かなと思いました。ニートという概念理解と、ニートまわりの思考発展の材料集というところでしょうか。概念整理不足、調査不足、研究不足の感は否めません。逆に、好意的に理解すれば、それだけとらえどころのない複雑な背景をもったテーマなのだろうと思います。