やる気にかけては日本に負けぬ!!|バリで出会った若手経営者(中編)

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☆ 前回のコラムの要約 ☆
三年前に二ヶ月ほどバリへ旅行をしたときのこと。いろいろな方々と出会って話をしてみたところ、どうやら自分で人生を切り開こうとする人たちが割と多いらしい。では、インドネシアやアメリカにおいて、自分で人生を創っていこうとする人が日本に比べて多いという背景には、いったい何が?

やる気にかけては日本に負けぬ!!|バリで出会った若手経営者(前編)
起業家精神という言葉があります。自ら事業を立ち上げて、果敢にビジネスに挑むという精神です。しかしこれは、ビジネスに限らず、「人生」についても...


では、こうした背景にあるものは何なのでしょうか。俗に言われるような、志や精神だけの問題ではないと思います。ちょっと考えてみると以下のような理由が挙げられると思います。

【アメリカの場合】
・機会均等に基づく成功物語
   =アメリカ文化(→ 資金、精神的援助へ)
・好景気で融資を受けやすい
・日本に比べ、資金調達の手段が多い
・会社の設立に必要な最低資本金が非常に低い
・失敗しても、はいあがれる土壌が残されている

【インドネシアの場合】
・サラリーマンと経営者とでは、所得に大幅な違いがある(経営者の所得と比べるとサラリーマンに対する給与が非常に少ない)
・サラリーマンは、学歴やコネがないと、昇進が難しい(遅れてしまう)
・就職しにくいので、自分の力で生きていく道を探すしかない
・日本のような、就職システム(卒業見込みの人がこぞって同時期に就職活動を行う慣習)がないので、自分で仕事を探さないといけない

ざっと挙げてみると、起業熱の背景には以上のようなことが考えられます。ここにあるのは、制度的な問題や、社会構造的な問題です。もちろんそれだけではないでしょう。これらに加えて、幼少時からの環境、特に「お金」とか「生きるということ」に対する態度というものも、結構大きな比重を占めているのではないかと私は思うのです。
まずアメリカについて見てみると、例えばこんな話があります。日米の教育事情比較で取り挙げられる話ですが、それは、小学生時代からいろいろなシュミレーションをやらせるということです。

例えば学校で行われる学芸会の有料入場券を先生が生徒に割り当てて、生徒が各自で各戸をまわって販売するというものがあるそうです。ノルマはありますが、達成できなかったときの罰則は一切ありません。人をうまく説得するコミュニケーション技術の重要さや、お金を得るということがいかに難しいことか、ということを学ばせるためです。その学校に所属するある日本人家庭では、その子供の割り当て分を父親がすべて自費で引き取ったのだそうです。その翌週、学校の先生はその父子共々学校へ呼び出しました。教育の一環としてやっているのに、親が一括でいとも簡単に買い取ってしまっては意味がないではないか、ということです。このあたりの意識は、日本の学校とはまるで違いますね。

別の学校では、教室内でいくつかのグループをつくり、株式の予想と仮想売買をやらせるそうです。グループ間で適宜発表をさせて、それぞれの投資成績(儲け)を競争させるのだといいます。もちろん「株式投資」には、経済のファンダメンタルに基づかない価格変動が生じうるという点では「騰貴」という要素も一部に含んではいます。しかしここでは、企業や市場の動きを数字を追って観察することで、経済活動をみつめる契機にすることを意図しているわけです。
また学校は、生徒が学校内で商売をすることを禁止していないといいます。最近でも、例えば母親につくってもらう弁当の一部を、子供が他の友達にいかに高く売ることができるか、いろいろ考えて「商品開発の工夫をする」(サンドイッチのハムを2枚はさんでみるとか、のりをのせてみるとか)子供の話を聞きました。昼休みだけ、「たまごっち」の餌やりを有料で代行する子供の話もあります。お金を稼ぐということが、生活をしていく上でいかに重要なことであり、またいかに大事なことであるか。これを、教育の一環として考えているわけです。おもちゃ会社から、おもちゃの利用者アンケートの調査代行を請け負っている小学生の話も聞いたことがあります。休み時間を利用して同級生に聞き取り調査をし、契約先の会社に報告するわけです。

インドネシアではどうでしょう。高級店、あるいは最近では一般の店では大丈夫になってきたようですが、一般的には、自分がちょっとでも注意を払っていないと、簡単にお金をごまかされてしまいます。中級以下の両替商や一部のタクシー運転手、ガソリンスタンドの従業員、ちょっとしたお店の人。よくよくお釣りを計算してみると、平気な顔つきで余計に取っている人もいます。自分のお金はきちんと自分で確認し、自分で管理しなくてはならないという環境にあります。持ち物の管理も自己責任です。

またインドネシアは極度の学歴社会であり、コネ社会でもあります。学歴がある者は、とんとん拍子に昇進し、学歴のない者は、なかなか昇進しなかったりします。学歴とコネが、特権階級を創り出します。そういう姿を見ればやる気を喪失させられる者がいる反面で、成功を目指して「あんなやつらに負けるものか!!」「なんとか努力してやってやるぞ!!」と思う者も出てきます。貧しい者は、生活のためには一生懸命に働かなくてはなりません。上昇志向のある若者は、もっといい仕事はないか、あるなら、どうしたら獲得できるか、外国語をマスターするべきか。ならば、付近の観光客を捕まえては話しかけてみて、言語を習得していこう……。そんな光景を見てきました。のんびりとたんたんと生きていく人がいる一方で、やる気のある人は、本当に頑張っているようです。いつか成功したいと願う者は、輝きが違います。

日本では、人にお金をだまされるというようなことは「日常的に」起こることではありません。また、特権階級をそばで見ることもなく、経済的にも、ほどほどに暮らせていける点で、のほほんとしていられる、ある意味では幸せな状況があります。良い学校に入って良い会社に入りさえすれば安泰で、幸せな暮らしを獲得できると言われてきたわけです。メディアで報じられているように、今日では、良い学校に入り良い会社や役所に入った人がたどる末路は、必ずしも幸せなものとは言えないようです。今そういう人たちは、こぞって刑務所に入ったり、自発的に「あの世」に行ったりするようになってしまいました。まぁ、それは冗談にしても、日本には若くしてお金を稼ぐことをあまり快く思わない雰囲気が一部にあることは否定できません。この点は「お金を稼いだ人を尊敬する」華僑文化と「お金を稼いだ人をねたむ」雰囲気をもつ日本との違いを、見て取ることができるかもしれません。自分に責任を持つこと、生活のすべを幼少時から肌で感じること。「お金」とか「生きるということ」に対する態度。こうしたところにも、違いの源泉がありそうです。

そんななか、インドネシアで出会った人のうち、私が今でも強く印象に残っている人がいます。30歳をこえても目を輝かせながら自分の夢を明るく語るある経営者の方です。私にとって彼の示す生き方は、非常に魅力あるものに感じられたのです。

■つづく

やる気にかけては日本に負けぬ!!|バリで出会った若手経営者(後編)
三年前に二ヶ月ほどバリへ旅行をしたときのこと。いろいろな方々と出会って話をしてみたところ、どうやら自分で人生を切り開こうとする人たちが割と多...
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