子供の頃から疑問に思っていたこと。それは、「尊敬する人は誰ですか?」という質問で、その回答に「両親」をトップに挙げる人たちの割合が、世界比較で見ると、日本は非常に高いということです。私はこれを、とても不思議に感じてきました。
「生みの親を敬うのは当然だけど、尊敬する人物となれば、もっと世界を広く見た方が良いのでは?」とか、「親以上にすごい人が見つからないというのは視野が狭いだけなのでは?」と。実は、これ、小学生時代からずっと思っていたことでした。
「将来、自分の子供が、両親!とか答えたら、世界観が狭い証拠で、教育の失敗みたいなものだよなぁ」と思っていました。そしてその思いは、今年初めて、子供を預かることになった今でも、変わりません。
そんなひねくれた(?)私でも、「尊敬する人物」に挙げてしまうのが、私の曽祖父です。
インドネシアの戦前の起業家、Ong Hok Liong
【写真:曽祖父の銅像@会社のミュージアム(残された写真をもとに推測して原寸大に復元された、元自宅兼会社)】
1930年にインドネシアで会社を創業した、我が曽祖父。名前は Ong Hok Liongです。
ゴミ拾いからスタートした彼の事業は、その後、社員数1万人超の規模にまで発展します。同業界でも、国内ナンバーワンにまでたどりつき、インドネシアの人なら誰もが知るブランドにまで育て上げました。親族を誉めるのもはばかられるものですが、それでも、私は曽祖父を尊敬せざるを得ません。
毎日、午前2時に起きては、仕事に没頭したという、生粋のハードワーカーでした。とにかく多くの仕事をして、少しでも多くの実績を重ねて、徹底的に人に尽くすのが、曽祖父の信条でした。
たくさんの人を食事に招き、
たくさんの人をパーティーや祭りに招待し、
たくさんの人たちに仕事を提供し・・・。
自分が頑張ることで、人に尽くすことが、彼の喜びとするところだったようでした。
とりわけすごかったのは、ダンボール箱に現金を隠し込んでは、せっせと送金した時代。これが、インドネシア国軍創設資金の一部になりました。(ほんのほんのわずかでしかないと思いますが)インドネシア独立のための資金提供です。
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徹底して人に尽くし、
徹底して人に喜んでもらい、
そのために必要なものは、
自分が率先して、徹底的に仕事に励むことで準備するというスタイル。
あるアメリカのジャーナリストが、彼の歴史と会社の歴史を簡単にまとめた英文記事があります。それを流し読みした限りでは、やはり会社である以上、何度か大きな危機を経験しています。
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曽祖父は、当時のインドネシアにしては珍しく、工場の近代化に意識があったようでした。進取の気性ある彼は、世界の先端というものに興味があって、欧米のものに関心をもって取り寄せたり、実際にアメリカに旅行に行って視察をしてきたり・・・。
そんな中、自社の工場にも機械を導入する必要性を痛感。インドネシアで初めて、海外金融機関からの協調融資に成功し、大きな投資をして機械を導入することになります。
これで、大変な勢いで増産できる!!
かと思いきや・・・、背景に何があったのか、急に機械の利用が禁止される法令が出てしまいます。(同業他社のやっかみでしょうね)
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先行投資のために大量の借金をしたのに、投資した機械そのものが使えなくなり、まるまるゴミ同然になってしまうのです。
会社倒産の危機を迎えたものの、不条理に耐え、必死になって社業に励み、会社の業績は持ち直していきます。「苦労は買ってでもせよ」と言われますが、おそらくこの経験が、その後、会社をより強固なものにしたのだろうと思います。
その後も、新しいものには率先して興味を示し、周りの人たちに尽くしていくという姿勢は、変わらなかったようです。多くの人たちを雇用し、困っている人たちには、いろいろな手を差し伸べました。あるお寺までの山道の往復が大変だろうと、その山道、約5キロを一斉にアスファルト舗装して提供したことまで(笑)。
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人に尽くす。
そのためには、自分がハードに仕事する。
でも、この姿勢は、その後、意外な穴となって問題となります。
自分が努力することで人に尽くす。それに対して「努力もせずに寄生する人たち」を生み出してもいたのです。
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実はこれが大きく悪い方向に発展し、
彼の死後、数十年して、大きな経営悪化の原因を作ります。
私も訪問時にはつぶさに感じたものですが、
いろいろな週刊誌が、会社の経営危機を叩きました。
雑誌の表紙に、会社のロゴが大きく取り上げられ、
それが、ロープでぎゅうぎゅうに締め付けられる絵まで現われました。
私は本当に胸の痛い思いをしたものです。
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私が思うに彼がすごいのは、
いろいろな人に尽くしたいという姿勢であり、
利益を度外視して、周りに貢献することを楽しむスタンスです。
そして、そのためにこそ、
徹底して自分が努力するということ。
私はその姿勢を心の底から尊敬しています。
でも、苦言を呈するならば、
会社経営をしている以上、
なんでもかんでも自分で頑張るというスタンスでは、
会社が健全に発展することはありません。
うまく人を使うということもまた、
会社経営には、とても大切なことです。
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そんな彼のスタンスは、
会社を大きくすることに貢献したものの、
その後、会社を衰退させる要因も生み出すものでした。
良い部分は、とことん見習い実践し、
欠点となってしまった部分は、真摯に見つめていきたいものです。
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十数年前、この会社の工場に、東証一部の某社の方々が見学にお見えになったそうです。
その会社、今年になって、インドネシアへの本格進出を表明しました。
さてさて、どうなることでしょう・・・。
近年の経営危機を乗り越え、
今では、ありがたいことに、
アメリカでMBAを取得した、いわゆるプロ経営者の方々が、
一生懸命に経営に当たってくれる会社になりました。
潰れそうな危機が、幾度と無く訪れたものの、
いろいろな方々の手助けがあって、健在です。
今年で創業78年。
必ずしも順調ではないにしろ、78年続くというのは、それはそれはすごいこと。
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こうしたことを思うにつけ、
本当に思うのです。
会社を経営している以上は、ありとあらゆる危機が訪れます。
でも、いかなる危機が訪れようとも、
何が何でも乗り越えて見せるぞ、と。
彼の機械導入が水泡に帰した出来事ひとつを見ても、
ちょっとした危機で揺らぐようではいかんと思うのです。
良い部分は率先して学びつつ、
苦労は苦労として、しっかり受け止める。
欠点だったところは、克服すべく、反面教師として受け止める。
そうすることで、曽祖父の遺した無形の遺産を、
現実を通して体現していきたいものだと、つくづく思うのです。
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そんな曽祖父に追い付き、そして追い越すこと。
臆面も無く言うならば、それこそが、私が抱える多くの夢の中の大事な一つです。
【参考】アンディ・ウィリアムスも歌ったインドネシアのテレビCM「I Love The Blue Of Indonesia」
これは曽祖父の会社のテレビコマーシャルの一つです。インドネシアの美しさが感じられる作品ではないでしょうか。
曲目「ムーン・リヴァー」で知られるアメリカのポピュラー歌手、アンディ・ウィリアムス(Andy Williams : 正式名称は、ハワード・アンドリュー・ウィリアムス, Howard Andrew Williams)が歌っています。
「I Love The Blue Of Indonesia」の歌詞は次の通りです。
It’s the flavour in the air
I Love The Blue Of Indonesia
You can taste it everywhere
BENTOEL INTERNATIONAL, Deluxe and Pure
I Love The Blue Of Indonesia
It’s my kind of blue
THE FLAVOUR OF INDONESIA!
その他のテレビCM作品は、以下のとおりです。