しかし記事を読んだ知人が、こんなコメントをつけてくれて。
唯一無二の世界で一期一会を大切に生きること、改めて肝に銘じました。ありがとうございました。
「なるほど、そういう観点で見てくだる方もいるのか」と、私にとっては意外な発見でした。もしそのように「何がしか、得るものがある」のだとしたら、ブログに転載しておくべきなのかも・・・と思い、ここに転載することにしました。
かつて共同で事業をやろうとしていた知人が、実は亡くなっていたことを知り、激しい衝撃。享年49。
今日たまたま読んだ記事で知ってしまって。えーっ!! と。もう言葉がない。
僕自身、昨年1月にインドネシアから日本に帰ってきた。いくつもの理由があるけれど、その一つは、この共同事業を延期or中止にする決定をしたこと。コロナが深刻化したことから、様子を見ようと。
「この事業に、思い切りリソースを割くぞ!」と、前のめりに考えていた僕は、彼のあまりにもあっさりした決定に「ええっー!」と。
コロナで仕方がないとはいえ、正直な話、この方向転換に対応することは、けっこう厳しかった。でも、この延期・中止は正しい決断だったと、今となっては確信をもって言える。
そう。最初に彼に出会った時、話をしてすぐ感じたのが、パワフルなほどの起業家精神。頭の回転の速さ。そして「あ、この人、お金をつくるのが得意な人物だな」ってこと。
次々にアイディアが出るだけでなく、話に応じて「あ、あの人とつなげたらいいかも!」って。話していて、心地よかったなぁ。脳をフル回転させないと、話についていけないくらいに。
話のスケールも大きいのが特徴で、当時、ちょっと縮こまっていた自分の発想を大いに広げてくれた。将来に向けた時間軸においても、またビジネスマインドの点においても。
と同時に感じたのは、それゆえに敵も多くなるだろうなと。多くの人が寄ってきて。有能な人も集まるけれど、悪い人も引き寄せてしまう力をもっているなと感じられて。
初めて会った時、午前中に会ったものの話が盛り上がり過ぎて、その日の夕方にまた再会することに。こういうケースは珍しくて。
いったん昼に解散。でも「初対面なのに、なんか見たことあるお顔だな〜」って思い、気になって仕方なくなって。気持ちが悪いので、ネットで検索してみたら、やはり的中。
大学院生時代、僕は彼のお父様の社長室で、経営者向けの15人くらいのミニ勉強会に参加していた。当時の僕は、その講演を要約して、メルマガを作るという仕事をしていて。
彼のお父さんも、これまたアイディア精神あふれる経営者だった。「この業界で、うちがやっている手法を真似できる会社はありませんよ!」と語っていて、そのオリジナルな手法を聞いていて「すげーっ」って思ったことを思い出す。
非常に独創性あるビジネスモデルで成長を続けていて。「これ、1回やるだけで、100万円入ってくるんですよ(笑) 大手企業にはできないでしょ、これ」って。ビジネスが楽しくて仕方がないという様子。いま思えば、親子で一緒だな・・・って。
彼自身もそう。彼自身も起業家として、お父さんとは別の業界で独自のモデルを生み出し、注目されていた。独創性ある特異なアイディアでチャレンジするところは、まさに親譲りだな・・・って。
実は、それを知らずにお会いしていたので、その経歴を聞かされた時に衝撃で。「えっ、例のあの事業のご本人でしたかーっ!」て言ってしまった(笑)
また夕方に再会した時、「あの・・・お父様は○○の創業者ですよね。実は僕、社長室に行って、お父様の講演をうかがって、要約を作成したことがあるんですよ」と話したら、非常に驚いた様子で。
にやにや・・っと照れながらも「えっー!! よくご存知ですね。びっくりしました。そうです。私の父ですよ。えっ、なんで知ってるんですかー?」って。
もう何時間くらい話したんだろう〜・・・ってくらいに長く話した。今でも思い出します、ジャカルタのフェアモントホテルのロビー。そしてその後、僕の親戚の知人が経営するジャカルタのスナヤンシティーのレストランバー「BAE」にお連れして。
次のアポがあったので、途中で打ち切ってしまったのですが、別れ際に「写真を撮りましょうよ」って言ってくれて。
そして「ぼく、将来の夢の一つが〇〇って、さっき言ったじゃないですか? 実はそれのポーズがあるんですよ。一緒に、そのポーズで写真撮りましょうよ」って。
僕は、特定のポーズで写真撮影に応じることは稀ですが、その夢に共感できたので、一緒にポーズをとって写真を撮ったのは良い思い出。
今日、あらためて写真を見返して、あぁ、素敵な邂逅だったなと懐かしく。ここには載せないけれど。その後、共同事業の準備のためにLINEグループをつくって。アイコンは、その時の写真にしていました。
懐かしいなぁ。亡くなったなんて、ホントに信じられない。
そうだ。共同事業のアイディアをまとめている時、大枠について賛成してくれたものの「1点だけ気になる点がある」と、反対してくれた点があって。それは、事業加速のために、僕自身がある国家資格を取るという点。
「資格を取るのは時間がもったいない。その勉強時間のリソースを事業に振り分けるべきですよ」って。こうやってハッキリ言ってくれる点も、全然イヤミがなくて、逆に気持ちよくて。
実は、その事業中止の意思決定について、当時ちょっとした違和感もあって。それゆえに距離を置いてしまったんだけど、あともう1回くらいは会いたかったなぁ。
とにかく彼は「もっともっと、思い切りチャレンジしようよ!」っていうエネルギーをくれる人だった。僕は昨年11月の試験で、行政書士に合格した。
「資格取得に反対されていましたけど、資格とっちゃいましたよー!」って、笑って報告がしたかった。日本で再会したかった。また、例のポーズで写真を撮りたかった。
記事によれば、僕が行政書士の試験を受ける数ヶ月前に亡くなっていたと。当時もし知っていたら、確実に試験に影響しただろうなぁ。勉強に集中するため、一定のネット断絶をしていたので、幸か不幸か、知ることがなかった。
なんだろう? 言葉にならない。人は死ぬ、必ず死ぬ。いつ、どんなかたちで命を終えるかは、誰にもわからない。平均寿命なんて、結果の平均でしかなくて。
だからこそ、今すぐやろうって思う。全力で楽しもうよと。仕事も遊びも全部。オンもオフもない。全部が人生。思い切りやろう。そう、明日じゃなくて今から。
わずかな交流でしかなかったけれど、本当にエネルギーをくれた。一緒に撮った写真。ホントに満面の笑みなんですよ。当時、共通の知人である某社長に写真を見せたら、「うわぁー、いい写真!」って。
あらためて、ご冥福をお祈りします。
・・・、
いや、そうじゃないな。ちがう。
○○さん。行ってらっしゃい!
そして、次のステージ、思い切り楽しんできてください!
ホントありがとうございました。これからも応援していますよ!
・・・だな。うん、きっとまた会えるはず。僕らのポーズは「3」。まずは、さようなら。
Saya baru tahu meninggalnya dari salah satu majalah berita Jepang. Masih ingat waktu diskusi di Jakarta dengan bersenang-senang.
Masih muda, usianya 49 tahun. Selamat jalan dan banyak terima kasih.
【参考】いつ死ぬかわからないというテーマに関するブログ記事
このテーマに関連するブログ記事を集めました。こちらの記事も、ぜひどうぞ。