めまぐるしく日々が過ぎていく昨今。お電話をいただいたり、おうかがいしたり、さてまた、ご来社いただいたり、社員とのやりとりがあったり。日々が、あっという間に過ぎ去ります。
そんな日常の中だからこそ、祝日の憩いは貴重な機会。先日は、アメリカの親戚たちと、ランチをする機会がありました。
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たまたま、私の両親が国際結婚をしていることもあって、海外の親戚との接触は、人様より多いのかもしれません。
先日の、あるお休みの日。
ランチは、ロスの親戚たちと一緒に過ごしました。
国籍こそアメリカですが、血はアメリカではありません。
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国際法上、日本は属人主義ですが、アメリカは属地主義。
血がアメリカでなくても、国籍はアメリカ。
そんな事例はいくらでもありますね。
日本では、
「外人」という表現が平気でまかり通っていることもあり、
また、
「単一民族国家」だと信じている人たちが大勢いることもあり、
「人との交流」という点において、「内向き」なところが多い、
そんな風に思わされることが、とても多いです。
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さて、貴重なランチ会。
たまたま来日していたことから実現しました。
ほぼ同い年の夫婦と、8歳の女の子と。
私は2歳の頃から、毎年、2週間程度、
インドネシアの祖父母の家に滞在する生活をしていたのですが、
今回来日した家族は、
その隣に住む女の子のいとこに当たります。
(大きく見たときの、親戚になります)
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私は、ほとんどインドネシア語をしゃべることができませんが、
それでも、こうした機会を得て、
インドネシア語を聞かされると、
なぜか、会話の意味がわかってしまうのが不思議でなりません。
会話を聞いているうちに、
次から次へと、単語の意味がわかってしまうのです。
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今回は、私の母と先方家族との会話が、
インドネシア語とジャワ語のチャンポン。
それでも、幼少の時分に聞かされていたせいか、
なぜか、会話の意味がほとんどわかります・・・。つくづく不思議。
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そして感じました。
インドネシア語とジャワ語のチャンポンを聞かされている空間が、
私にとっては、とても心地よいのです。
インドネシア語そのものを聞かされている時、
私はすでに、まるで音楽を聴いているかの気分に陥ります。
でも、それにジャワ語が紛れ込むとき、
とても気分の良い空間になってしまうのです。
表現の陳腐を了解しつつも「耳に心地よい」という感じです。
日本語の美しさとは、また別種の美しさがあります。
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8歳の女の子は、
3つも4つも言語を理解しています。
海外の親戚とふれあっているといつも思うのですが、
外に目を向ければ、
3つ、4つの言語をかじっている人がとても多いのに、
日本だと、単一言語しか解さない人が多い事実に直面し、
とても不思議な気持ちになります。
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欧米、とくにアメリカでは、
英語ができる、しかも、英語しかできない、
いわゆるシングル(ランゲージ)スピーカーであるということは、
それだけでステータスになるのですよね。
つまり、母国語以外の言語を学ばなくても生活できるということは、
それ自体で、すでにエスタブリッシュメントであるという証左になるわけです。
国際化の進展の遅い日本では、それが了解されることは
まだまだ先のことだろうと思います。
「私は日本語しかできないんです」と言う人が多い昨今、
これはつまり、
「私は外国語を学ばなくてもご飯が食べられるエリートなんです」と
言っているに等しい。
このことは、きちんとわきまえておく必要がある気がします。今後のためにも。
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そんなことまで思いを馳せる時、
海外との交流の機会をいただけている自分は、
大事なことに気づくきっかけを与えてくれているという点において、
本当に恵まれているなと思わざるを得ません・・・。
さて、長くなりましたが、こうした機会を経験するにつけ、
日本という狭い範囲だけで過ごすことは、
とてももったいないことだなと思います。
世界は広い、本当に広い。
内向きになって狭いところにとどまっていると、
世界を見る目がどんどんいびつになっていくような気がします。
近くても遠くても、
幅広くコミュニケーションをとっていくことが、
とても大事なのだろうと思います。
2009年2月18日 渡邉 裕晃
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