ストポ・ヌグロホ報道官が死去|インドネシア国家防災庁への尽力と努力

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インドネシア国家災害対策庁(BNPB)のストポ・プルウォ・ヌグロホ報道官(Sutopo Purwo Nugroho)が、2019年7月7日、療養中だった中国・広州の病院で息を引き取られました。病名は肺がんです。

今日のインドネシアで騒ぎになったニュースの一つが、まさにこのストポ報道官の死です。ソーシャルメディアにおいても多くのメッセージが飛び交いました。2018年1月に肺がんを公表していましたが、これほど早く亡くなられるとは驚きです。

私自身はストポ報道官にお目にかかったことはなく、詳しいところまではわかりませんが、活動を拝見している限り、人間的にも素晴らしい方との印象を持っていました。インドネシアでも多くのファンを集めていた人物です。私が見る限り、ストポ報道官は「どこまでも努力することは、どこまでも美しい」という言葉がふさわしい人物だと言えます。




多くのファンを集めたストポ・ヌグロホ報道官

貧しい家庭に生まれ、苦労して勉学に励まれた立志伝中の人物とされています。ガンの治療で中国滞在中に亡くなられました。なんと、まだ49歳という若さです!! 上記のツイートは6月1日のもの。インドネシアのユドヨノ前大統領の奥様が亡くなられた際の追悼のコメントで、隣に付き添っているのがユドヨノです。

ストポ報道官には多くのファンがいて、ツイッターでもハッシュタグ付きで多くの追悼投稿が飛び交っています。実は私自身、いつかお目にかかりたい人物の一人でした。

インドネシアでは災害等があると国家災害対策庁からの注意報が出ます。ツイッターやインスタグラムなどのソーシャルメディアでも広報が出ますが、私がこの数年見てきた限りでは、情報の的確さや速報体制、ニセ情報やデマの撲滅、災害に関する情報の啓蒙活動は、非常に頑張っている姿勢が伝わってきていました。

(長くなるので省略しますが、誤った情報を撲滅し、正しい情報の見極めができるように啓蒙するというテーマは、これからのインドネシアに不可欠な、非常に意欲的な課題なのです)

国家災害対策庁が尽力してきたことの詳しい背景はわかりませんが、おそらくストポ報道官の功績は大きかったのではないかと推察します。記者会見でも気さくな姿勢が印象的で、多くの人に愛された人物です。

ストポ・ヌグロホ報道官の熱心な仕事ぶり

ストポ報道官は、時には公式アカウントよりも前に、自らの個人アカウントを使って災害情報を速報する人でもありました。上記ツイートは5月31日のもの。病床の中にあって、バリ島のアグン山の噴火状況を伝えているものです。

ストポ報道官は、すぐに現場入りし、自ら撮影した写真をツイートすることがあったり、なんというか仕事の熱心さや情熱がツイッターからだけでも伝わってくる方で。あれだけ仕事に情熱を注ぐ姿勢は、必ずや省庁スタッフに対して「背中で教える」力強い教育効果があったはずです。

テレビやソーシャルメディアでストポ報道官が語る姿を見ていれば、災害があった時「インドネシアの皆さんに、少しでも早く、かつ正確に伝え、間違った情報が広まらないようにしたい」という情熱がひしひしと感じられました。またそればかりでなく、将来のためにも、インドネシアの多くの人たちに災害に関する基礎知識を広めたいという使命感をもって任務にあたっていた方だなと感じます。

どこまでも努力することは、どこまでも美しい

メディア経由の情報からは、苦学と努力の人として伝わっていて、やはり「どこまでも努力することは、どこまでも美しい」という当たり前の事実がここにあるなと私は感じます。

ストポ報道官には、おちゃめな側面もあって、例えば2018年12月、スラバヤの道路で大型陥没事故があった時は、写真つきのツイートにわざわざイメージ加工までして「ゴジラの襲来じゃないから安心して!」と呼びかけたりしたことも。

「日本だったらクビになりかねませんね」って、私はソーシャルメディアで投稿しましたが、それが今回のストポ報道官のツイートです。なぜインドネシアで問題にならなかったかと言えば、日本のように「何か見つければ何でも批判する」という文化ではないという背景もありますが、やはり大きかったのはストポ報道官の意図を汲み取った人が多かったからではないかと思います。

それはまさに、とにかく安心を伝えたい、正しいことを伝えたい、事実をわかりやすく伝えたい、デマにまどわされないで、正しい知識をつけて、命を守って・・・という情熱です。

おちゃめでミーハーな側面も

またストポ報道官にはミーハーなところもあって、「いつか大統領に会ってみたい」との夢がありました。苦学の末に出世して、ついに数年前に実現します。もうガチガチに緊張しながらジョコウィと対面する映像は記憶にあたらしいです。

貧乏な家庭であっても、どこまでも実直に頑張れば出世するチャンスがあって、夢を追いかければ大統領にも面会できるんだよという大きなメッセージになったと感じます。

また、大好きな歌手がいて、その人にもいつか会ってみたいとの夢がありました。これも数年前に実現。現地メディアは「名前を呼び掛けられるだけでも夢が実現したのに、その後、彼女はストポのために3曲も歌ったのだ」と。その時のストポ報道官の表情の映像は忘れられません。

ストポ報道官の仕事に情熱を傾けるひたむきさ

インドネシア国家防災庁 ストポ・プルウォ・ヌグロホ報道官

ここまで書いてきて、まるでストポ報道官の礼賛記事のようになってしまいました。人には良いところもあれば悪いところもあるので、批判すべき側面もあるのかもしれません。私自身、ストポ報道官のことを詳しく調べたことはなく、ごく一部分しか見ていないことも事実です。

しかし、私がこの数年間のストポ報道官を見てきての感想が「どこまでも努力することは、どこまでも美しい」ということであることもまた事実です。

「どこまでも努力して、実直に任務をこなして前進し、批判を恐れずに熱中した」という人物だったのではないでしょうか。いつかお目にかかりたい人物の一人でした。

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るもの也

西郷隆盛は、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るもの也」と言っています。金や名誉といったものに惑わされない人物は、まさに信念の人物です。そういう芯の通った人物は、どうやっても誘惑ができないわけです。

ストポ報道官は、ただひたすらに未来の平和なインドネシアを愛するという、まさにそういう信念の人物だったような気がします。改めてストポ報道官のご冥福をお祈りします。努力は美しい。熱中は美しい。そのことを本当に思います。

参考までに、上に載せたものが、ストポ報道官の最後のツイートで、日付は6月15日です。インドネシア全土の画像だけで文字はありません。おそらくですが、インドネシアへの「ありがとう」と、これからのインドネシアに未来を託したいとの希望が表れているように思えてなりません。実に涙あふれるツイートです・・・。

なお、NHKでもストポ報道官の活躍がまとめられていました。参考までに以下の通りです。

また、こちらの記事も、ぜひどうぞ。

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