☆ 今回の主な内容 ☆
今回取り上げるのはインドネシアの変革についてです。研究者レベルで詳細を把握しているわけではありませんが、インドネシアを身近に感じている者として私見を披露させていただきたいと思います。 |
私は日本人とインドネシア人の両親の間に生まれた。ずっと日本で暮らしてきたがインドネシアには幾度となく訪れている。インドネシアの血を引く私にとって、インドネシアは第二の故郷である。
今月インドネシアで戦後二回目の民主的選挙が実施された。唯一の民主的選挙と言われた1955年の第一回総選挙から数えると、実に44年ぶりということになる。実質的にはほとんどの人々にとって初めての民主的選挙であったと言うことができるだろう。より自由な選択が保証されたこと。選挙そのものに国内外からの監視があったこと。そしてインターネットで選挙速報が流されたという点でも「新しい選挙」であった。
今後様々な分析と総括がなされるであろう。私は研究レベルでインドネシアの深い事情を認識しているわけではない。しかしインドネシアと日本、両国を肌身で感じている者として、今回の一連の動きについて思うところを述べてみたい。
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今回の選挙が評価されるべき点として、私は三点を挙げておきたい。
第一に、さしたる混乱も無く平和裏に民主的な選挙が実施できたということ。もちろん、選挙人登録用紙がゴミ箱に捨てられたとか、米の引換券が配られたといったレベルでの小さな違反はあったようだ。在日インドネシア大使館でも投票が行われたが、選挙人としての登録期間がきちんと周知されなかったために登録を逸し、投票できなかった人も少なくない。投票の時間も明確に規定されず、時間帯を問うと「朝から晩までです」という返答しかなかったらしい。しかしスハルト政権末期の騒乱と暴動を想起すれば、これらはそれほど問題ではないだろう。
第二に、国民の意識を変える契機になったということがある。公務員が票の取りまとめ役を担ったり、選挙違反が堂々とまかり通っていた従来型選挙ができなくなり、自分たちの投票結果がきちんとしたかたちとして出てくるということが実感としてつかめる。投票有効感覚を高めたことは間違いない。
何年か前、学生に「次の大統領には誰が良いか」と聞いたことがある。そのとき返ってくる言葉は「Aではないかな、スハルトの信任があついから」とか「いや、Bだよ。陸軍をまとめているし」といった調子であった。暗黙の慣例を所与の条件と見なした上での「こうなっていくはずだ」という思考であり、「政治をこうしたい」とか「こうあってほしい」という思考はあまり見られなかった。ちなみに私は「次はハビビ氏では?」と聞いたのだが、ほとんどの答えは「彼は経済については専門家だが軍隊との関係が希薄だから無理だ」という調子であった。
第三に、経済状況の安定化への担保の一端を担うという点だ。今回の選挙が行われて真っ先に反応したのは経済市場であった。政治と経済は密接不可分であり、政治の安定化が株価や為替に反映される。安定の対外アピール効果が期待でき、ひいては国際的な投融資の増加が促される。
では、選挙に至ったインドネシアの社会運動をどのように見るべきだろうか。いたずらに「民主的な選挙」という表面だけを取り上げるのではなく、一連の動きがもつ本質と実態に注目することが重要であろう。
投票が終わったとは言え、開票作業はまだ終わっていない。メガワティ率いる闘争民主党が第一党になることは間違いないだろうが、その後の行方は不透明なままだ。整理や評価などの分析も、まだ充分ではない。
しかし、今回の一連の動きを人権や自由といった高邁な理想と高い政治意識に基づく、美しくて清らかな市民革命、民主化革命などと位置付けるのであれば、それはあまりに一面的な見方であると言わざるを得ない。複雑な背景の錯綜する実態をきちんと見ていないし、なによりそのような分析はインドネシアのためになるとは思えない。
今回の選挙は、民衆が政治を突き動かした例と言えるかもしれないが、インドネシア語の中に「市民」に相当する言葉は無い。「公民がつくる政治社会」としての市民社会、あるいは「政治や国家の暴走を止める基盤」としての市民社会という土壌はほとんど無いと言って良い。
数年前、インドネシアのある市民団体の代表が来日したときのことだ。彼は講演のなかで実に興味深いことを語った。今回日本に来て初めて「市民」という概念を知ったのだという。しかも奥が深くてまだ充分には理解できないとも言った。市民感覚に基づかない市民団体だということになる。
日本の新聞社各紙の社説などを見ると「民主化を求める国民全体の民意の反映だ」という見方も散見される。しかし、それが市民感覚に基づくものかどうかは疑わしい。「民意」の内側にあるものを探る必要があるだろう。
たしかに日本と比べると、インドネシアには政治意識の高い人々が多いことは事実だ。数年前のことになる。
「インドネシアでは『ファック、スハルト!!』と叫ぶだけで逮捕される。しかしアメリカではホワイトハウスの前で銃を乱射しても平気だ。そう考えればインドネシアの方がよっぽどましだ」。
私とあまり年の違わない若者はそう言った。もちろん極端なたとえ話ではあるが、インドネシアには「大きな悪よりは、より小さな悪(lesser evil)を選択する」という意味で、スハルト政権をしぶしぶながらも支持をする層があった。選択の自由があまり無かったという事情もあるだろうが、マスコミ報道に見られるような、全ての学生や若者が熱狂的に大反対を示していたというわけでは決してない。
ただ言えるのは、政治参加や政治選択の自由が乏しくても、若者の政治意識は大変高いということだ。大学生だけでなく、海岸を歩く青年たちとですら、このような政治談義ができるということが日本とは違うと言えるかもしれない。海で知り合った青年から、日本の権力構造について質問された時には、さすがの私も驚いたものだ。
しかし、こうした政治意識の高さは、市民としてのものではなく、より生活に根付いたものだ。市民という観念や市民感覚から発するものではなく、現実の生活実感に基づくものだ。インドネシアは数多くの民族と言語によって構成されている。日本のように数民族で一国家が構成される国とは異なり、数え切れないほどの多民族と多言語が存在する多様な地域を「国家」というフィクションによって乱暴にひと括りにする「想像の共同体」としての国家である。過度の貧富格差と政治腐敗、経済腐敗の横行という事態が拍車をかけて、常に社会的騒乱や分離独立の危険を内包してきた。政治意識の高さにはこうした背景がある。
友人と食事に行く時に、違う宗教の友人がいれば食事内容に気を配らなければならない。結婚する時に相手が異教徒であれば、どちらかが改宗しなければならない。このように常日頃、ミクロな場面でなんとはなしに接している問題であるがゆえの「政治意識の高さ」なのである。
政治と宗教の問題も含め、スハルト政権は「開発と経済成長の実現」という大義名分によって問題の噴出を抑え付けてきた。これに火をつけたのは、経済低迷が生活の不安を呼び起こし、大義名分が通用しなくなったためである。多くの人々が動くのは、具体的に生活に密着した問題になった時だろう。人権や理想、自由といった目に見えない抽象的なものによって動くのは、相応の教育環境に身を置いたインテリ層だ。学生のデモや行動が一つの契機になっていることは確かだが、それに火をつけ、意味ある動きに変えたのは、学生以外の層の動きであったことを思い起こしたい。
インドネシアは伝統的と言っても良いほど根深い賄賂社会であり、地方自治体の首長や団体代表、企業中枢、場合によっては身近な上司などに、言わば「ミニ・スハルト」とでも呼ぶべき存在が少なくない。貧富の差と機会の不均等といった問題と密接不可分で表裏一体をなす問題だ。ミニ・スハルトへの鬱積した不満のはけ口がスハルト打倒、与党ゴルカル打倒の動きであり、スハルトの打倒、ゴルカルの打倒が、身近に存在するミニ・スハルトを打倒することに投影されての動きなのだと考えられる。
背景にあるものはきわめて複雑であり、宗教や民族、言語や文化、伝統的腐敗といった様々な問題の集積として生まれた現象と見るべきである。政権交代をし、大統領を取りかえればそれで安心という単純な問題ではない。ましてや市民が台頭して政治が明るくなるというものでもない。これからの時代こそが、本当に問題が現れる時であり、正念場ともなる時なのである。
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こうしたことから見ると、今後のインドネシアにはまだまだ課題は多く、先行き不透明な問題も多い。ここで四点を指摘しておきたい。
第一に、次期大統領の選出は今回の選挙結果がそのまま反映されるわけではないということだ。今回の選挙結果を受けて、メガワティ党首率いる「闘争民主党」を中心とする連立政権が模索されている。しかし主要政党の党首たちの本音としては、大統領への立候補姿勢を崩しているようには見えない。政治と宗教とが密接に関係しており、政党間の綱引きがどうなるかは、予断を許さない。
またインドネシアの場合、今回選出された議員の過半数を占めれば大統領が決まるという制度をとっていない。大統領を選出する国民協議会は、今回の選挙で決まる462人の議員の他に、軍人枠の38人、地方・団体代表の200人を合わせた700人から構成されることになる。しかも次回の国民協議会の開催は11月に予定されているが、その際の大統領選出方法はまだ確定されていない。さらに闘争民主党の国会議員候補の多くは非イスラムである。イスラム関係団体や政党などは、国民協議会においてメガワティ大統領選出へ抵抗の意志表示をする可能性が高い。
第二に、メガワティ自身にどれだけの能力があるのか、メガワティを中心とした場合にどれだけ全体がまとまるのか、という問題がある。メガワティは民主化の象徴としてのカリスマも集めており、今回のインドネシアの民主化運動に一役買ったことは事実である。50代以上の人々にとっては、彼女の面影や、聴衆の前で彼女がとる行動は、スカルノ初代大統領をほうふつとさせるところが大きいという。またスカルノには、メモ無しで1時間でも2時間でも聴衆をひきつけながらスピーチをすることができたという逸話があるが、メガワティの口調や話しぶりにしても実にそっくりであるらしい。
ただ彼女の実務能力に目を向けてみると、疑問の声もあがっている。今回の選挙運動でも、彼女の口から詳細な政策が語られることはほとんどなかった。スハルト前大統領の不正蓄財問題の追求についても「法に則って進める」としか言っていない。外交政策の欠如ということも言われており、海外からの要人が彼女と会談をもつと、その政策の無さに失望や不安を抱く場合が多いという。政治のプロと政策のプロ集団などの強力なバックアップが無い限り、民主化革命後のフィリピンのアキノ大統領の二の舞になりかねない。
第三は、軍隊の問題だ。国民協議会のメンバーに「軍人枠」が存在することを見てもわかるように、インドネシアにおいて軍人が政治に関与する度合いは低くない。「中立を守る」と宣言してはいるものの、国軍、とりわけ陸軍がスハルト政権を強固に支えてきたということもあり、新政府と国軍との関係がどうなるかも不透明である。「女性大統領誕生にも異存なし」との声明は出している。しかし政党間のかけひきと国民協議会の議席配分などの問題から、折衷案としてウィラント国軍司令官が大統領に選出される可能性もとりざたされている。
第四に、社会構造的な問題がある。前述のとおりインドネシアは伝統的で構造的な根深い賄賂社会であり、これへの対応も時間のかかる作業になりそうだ。もちろんそれだけでない。政治と宗教の問題も含め、スハルト時代には「開発と経済成長」という大義名分が、問題の存在を覆い隠してきた。しかしこの大義名分ももはや通用しない。国内には東ティモールやアチェの独立問題、華人問題などもあり、これにどのような姿勢でのぞむのか、これにより人々の新政府に対する態度は大きく変わってこよう。スハルト前大統領の不正追及と処遇をどうするかという問題もきわめて大きい。
スハルト政権時代には、権力と権威によって数々の問題が覆い隠されてきたと見るべきだろう。今でも謎とされているスカルノからスハルトへの政権移譲の過程も明らかにされるかもしれない。
スハルトの妻であるティエン夫人は生前「神の啓示」をもつ人間として見られており、スハルトの権勢がティエンの死亡とともに低くなっていったことと関連付けて見る向きもある。そのティエン夫人の死亡原因が、実はスハルトの子供たちの兄弟喧嘩にあったという説も出てきた。喧嘩が最高潮に達し、兄弟の一方がピストルの引き金に手をかけたところでティエン夫人が仲裁に入り、そこで流れ弾が当たったというのだ。真偽の程は定かではない。
しかし、いままで隠されてきた問題が今後表面化してくることは間違いない。その過程でいくつかの混乱も起きるかもしれない。そもそもスカルノからスハルトへの政権移譲が合法的だったか否かという実態も浮き彫りになるかもしれない。
こうしてみるとスハルト退陣によって、前途多難性は、かえって拡大していることがわかる。安定社会の構築には途方も無い時間がかかるであろう。大統領が変わればそれで安心という単純な問題ではない。「複雑さ」が増大するのは、いよいよこれからだ。
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今回の選挙が終わっても、次回の大統領選挙が行われる11月までは、メディアによる注目はされるだろう。しかし本当に今後の行方が問われることになるのは大統領選挙後のインドネシアである。
フィリピン、アキノ革命の際は、その後メディアの報道が急速に減ったように記憶しているが、そのようなことが無いよう、メディアにはインドネシアの動向をきちんと追跡していくことが望まれる。今回の選挙運動でも、主要政党の主張はほとんど伝えられてこなかった。インドネシアは日本と密接な関係をもつ国であり、選挙結果だけを見て、与党スハルト時代が終わった、めでたし、めでたしというわけにはいかない。
また、市民の台頭や民主化革命といったような、過大な評価と期待を抱くことは、逆に大きな幻滅を生み出しかねない。実態を見つめ、人々との交流を重ねることによって、より本質にせまることが重要だ。インドネシアに行った際には、ぜひ現地の人と言葉をかわしてほしい。ほんの些細な一言から、ひょんな交流が始まるかもしれない。私はインドネシアを心から愛している。時間はかかるかもしれないが、インドネシアには大きな可能性が秘められていると確信している。スハルト時代に戻って欲しくはないし、民主化革命後のフィリピンの二の舞になっては欲しくない。