「君にはもうそんなことをしている時間は残されていない」
これは、最近の私が意識的に自分に言い聞かせている言葉です。
1974年生まれの私は今年の9月で43歳に。平均寿命が80歳前後という中では、まさに折り返し地点です。「まだまだ半分あるではないか」と思われるでしょうが、それでも私は自分に言い聞かせるようにしています。
「君にはもうそんなことをしている時間は残されていない」と。
なぜならば、第一に、誰もが平均寿命まで人生を全うできるとは限らないこと。第二には、いつどんなことできっかけで急逝するかわからないから、です。
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君にはもうそんなことをしている時間は残されていない
千田 琢哉 あさ出版 2013-01-08
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目次
人はいつ死んでしまうかわからない
これは、2013年に出版された千田琢哉さんの著書の題名です。実はまだ読んでいないのですが、題名がとても気に入っています。
「君にはもうそんなことをしている時間は残されていない」と聞いて、「そんなことは、あたりまえじゃないか」と感じた人も多いと思います。
「人はいつ死んでしまうかわからない」
確かにその通り。これに異論を挟む人はいないと思います。まさに厳然たる事実です。でも、私を含めて多くの人は、誰もが平均寿命までの期間をまっとうできると信じて、生きているのではないかと思います。
少なくとも「明日急に死んでしまうかも」ということを想定している人は、多くはないはずです。可能性的には「あり得る」にもかかわらず。
自分との約束を先延ばしにしがちな理由
だから、多くの人は、「まだまだ余裕はある」と思って、時には休憩をしたり、時には息抜きをしたり・・・。時には、締切が決まっていることであっても、ついつい、「ま、いっか」と思って、締切を破ったり・・・。なんてこともあるのではないでしょうか。
それが、他人との約束ではなくて、自分との約束だったりする場合には、なおさらです。
知人の突然の急逝、まだ50歳!!
今日、私のもとに訃報が寄せられました。
数年前、私がまだ日本に住んでいた時、新宿区から任命されて、「産業振興会議」の委員を担っていたことがあります。
有識者を中心に、十人くらいのメンバーで毎月会合を開いていましたが、その中の一人、高千穂大学の川名和美先生がお亡くなりになったと。何かの冗談ではないかと思いました。
だって、つい最近までfacebookを元気に更新されていたし、年齢から見ても、まだ50歳だったからです。人生は、いついかなるかたちで終わるか、わからない・・・。そのことを改めて思いました。
ソーシャルメディアから感じられる娘さんとの愛情
しかも、川名和美先生の逝去を知ったのは、facebookでの川名先生のアカウントから。
「?」と思うかもしれません。
そうです。川名和美先生の娘さんが、お母様のアカウントを通じて、逝去のお知らせを発信されたのです。3月11日の投稿では、川名和美先生自らが、メディアに娘さんが取り上げられたことを書かれていて・・・、
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本当に涙がでるようなコメント。その娘さんが、気丈にも、お母様の逝去を皆さんに発信・・・。まさに、立派な子育てだったに違いないなと。
知人の突然の急逝、まだ56歳!!
実は、この1ヶ月前にも、私は知人を亡くしています。彼もまた、若くして亡くなりました。1961年生まれだから、まだ56歳。
私が日本で会社を経営していた時、折に触れて気にしてくれて・・・、
「どんな人を紹介したらいい?」とか、
「どんな応援をすべきだろうか?」とか、
いろいろと気にかけて下さった方でした。
同じ、青山学院大学の出身ということもあって、「青学だよね!」と、すごく親身にしてくださった方。そんな彼の急逝は、本当に驚きでした。
一般的な平均寿命までを全うできる人は全員ではない
自分の人生が、いつ、いかなるかたちで終わりを告げることになるのか。これは、誰にもわかりません。ただ確実に言えることは、「一般的な平均寿命までを全うできる人は全員ではない」ということです。
人生には息抜きも大事。
でも、残り時間が有限であることも事実。
であればこそ、時々振り返ってみることには価値があるのではないか、と私は思うのです。「君にはもうそんなことをしている時間は残されていない」と。
「残り寿命」を意識する
ストイックすぎますか?
でも、実際がそうなんですって。
私の周りの知人を見てみると、残り寿命を意識しているかどうかはわかりませんが、それでも、一秒一秒を、本当に大事にしている人が多いと感じます。
だからこそ、相応の実績を残しているんだろうなと。
だからこそ、真剣に打ち込むゆえに得られる喜びがあるんだろうなと。
だからこそ、同じようにワクワクする仲間との出会いがあるんだろうなと。
日々を真剣に、
日々を一生懸命に、
日々を死に物狂いで。
かっこ悪いと言う人もいるでしょう。でも、そういう人のために生きているわけじゃないですよね。
「ゴール」のある限られた自分の人生を、どう生ききるか。やはり必死で走りきることにこそ、やり甲斐があるのだと私は信じます。
必死で生ききるということ
だから私は思います。
「ストイックすぎる!」って思われるかもしれないけれど、時々、自分の暮らしを振り返りながら、「君にはもうそんなことをしている時間は残されていない」と、問いかけることが大事なのではないかと。
ついつい「易きに流れる」人間だからこそ、これくらいの強い言葉が大事なんじゃないかと。
この言葉は、本当にオススメです。
先月、そして今月と急逝した2人の知人のためにも、私は今以上に、さらにさらに真剣に走り抜けていきたいと思います。
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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