今回のコラムは、「晩節」について。辞書によると、「晩節」とは「人生の終わりのころ。晩年」と説明されています。
おとといの7月1日のこと。元首相の橋本龍太郎さんが亡くなられました。68歳というのは、非常にお若いと思います。あの献金疑惑がなければ、もっときれいな晩年となったことでしょう。思えば、首相だった小渕恵三さんも、お亡くなりになったのは62歳の時でしたから、実にお若く突然でしたね。
政治家ではありませんが、先日、私の好きな小劇団「Dotoo!」のメンバーのお一人、ウォーリー・小倉さんが、お亡くなりになりました。34歳。若すぎる・・・。
そして思うのです。あるべき「晩節」とは、どんなものなのかと。
目次
晩節を全うするには晩節の時期を知らなくてはいけない
私はまだ31歳なので、「平均寿命」という考え方を信じるならば、まだまだ先は長いかもしれません。でも、よくよく考えてみれば、80代であろうと、60代であろうと、たとえ30代であろうと、20代であろうと、本当ならば、いつ死んでもおかしくないはずなのです。
「もし今死んでしまったら、どうなるだろう?」と考えると、きっと、周りにたくさんの迷惑をかけてしまうだろうと思います。自分が近々死ぬという前提での準備を全くしていないからです。
いま突然死んでしまったら周りにどんな影響を与えるか
私の祖父は、死期を悟っていたようで、私にも、あと1週間ぐらいで死ぬと思うと言って(遠からず、だいたい当たっていました)、自らいろいろと身辺整理を進めていましたが、これは、レアケースでしょう。
たいていの場合、死は突然に訪れます。
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これは、時々考えておいた方が良いテーマなのだと思います。
そして、悪い影響はできるだけ排除するように努め、良い影響が極大化できるような、そんな環境づくりも、よりよい人生づくりにとって大事なように思います。
そういう意味では、一年に一度、遺書を書いてみることも大事でしょうね。現在の自分の棚卸だけでなく、周りへの感謝の念もわいて、これからの余生をどう過ごしていくべきか、ヒントが得られるかもしれません。
そうすると、「晩節をどう生きるか」という前述のテーマに対し、「自分なりの回答」が、だんだん見えてくるように思うのです。
仕事も遊びも全力投球しよう
「会社」(特に創業経営者)は、磐石で揺らぎの無い継承手法に頭を悩ませるものですが、「個人」としても、同じような準備が必要に思います。
自分が突然いなくなったとしても、周りができるだけ迷惑をこうむらないようにしておくこと。
迷惑が極小化できるまでは、できる限り、自らの健康管理に積極的になること。
周りの人に貢献できることは、積極的に引き受けることです。
上述のことを達成するためにも、体を健やかにするだけでなく、心も穏やかにすべく、自らが打ち込みたいことには、一生懸命打ち込む。そうしたことが大事になってくるように思います。
仕事も遊びも全力投球すべきだと私が思うのは、そのためでもあります。
できうる限りにおいて、少しでも周りのお役に立てるように日々研鑽していく。自己の体と心の充実に努めながら。それが大事だと思うのです。
政治家・後藤田正晴さんの晩節とは?
すでにお亡くなりになった政治家ですが、私は、後藤田正晴さんのお姿が印象的です。
晩年は、総理待望論が沸騰しても頑として引き受けず、後進の人たちへのアドバイスに努め、静かな日々を過ごす・・・。
2年ほど前だったでしょうか、日本橋高島屋でご夫婦をお見かけしたことがあります。細川護熙元首相の陶芸展示会があったので、ご夫婦で顔を出され、趣味に対する激励をされたのでしょう。
その後、最上階のレストラン階で、古い食堂エリアのショーケースを見ながら、ゆっくりと奥さんに「何を食べる?」と嬉しそうに会話されていたこと。
この光景が、なぜか今でも忘れられません。そしてここに、幸せな晩年が凝縮されていると感じました。 そんな後藤田さんがお亡くなりになったのは、91歳のことでありました。
日々新しい一歩を踏み出しているか否かが晩節を輝かせる
美しい晩節を全うするには、常日頃の日々の自己管理と自己研鑽が不可欠なのだと思います。
そして、最期の日がいつ訪れるかわからないがゆえに、いつでも、周りに少しでも幸せを提供できるようにしていかなくてはいけないのだと思います。
「お金がたまったら●●したい」
「定年を迎えたら、新しく●●を始めたい」
そう言って、日々何の努力もしない人が、決して実現できないのと同じこと。日々、少しでも新しい一歩を踏み出しているか否かで成否がわかれるのだと思います。
結局は、以下のこと。
・他者への貢献に努める(成長しきれていない自分でも可能なことを)
・自己の健康管理に注意する(少しでも長く他者に貢献するために)
どれも大きなことかもしれません。しかし、すべては日々の小さな努力の積み重ねでしかないことも事実です。
世俗的な大人物になる必要などないのです。こうした小さな努力を重ねること、小さな幸せを大事に求めること。これこそが、「日々を生ききる」ということなのでしょう。
小さな幸せづくりをコツコツと。
晩節を美しくするひとつの方法なのだと、私は思います。
【参考】晩節を全うするために考えておきたい関連ブログ記事
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