みなさんのまわりには、インターネットをばりばり使いこなしている方、どれぐらいいらっしゃいますか? 私の場合、たまたま知り合いにインターネット業界の方々がいるので結構多いような気がします。ですが、高校時代の友人とか、大学時代の友人を思い起こすと、メールを日常的にやっている人は少ないようですし、大学院の友人や先生にしても、そういう方は多くありません(Samsul’s Choiceを初めて読まれる方へ。私、大学院生なんです)。
インターネットはもともと学術利用で広まり始めたものなので(もちろんその前は軍事目的でしたが)、大学の先生や大学院生であれば、もっと使っていてもいいのに、などと思うのですが、私の大学院では、インターネット利用者は少ないです。ちょっとしたウェブがつくれて、メーリングリストを運用している(しかも有料で)だけで、インターネットの専門家であるかのような位置づけがされてしまうほどです。
みなさんの周辺ではどうでしょうか? 私のメールニュースを購読されているくらいですから、きっとバリバリユーザーが多いのでしょうか? 私がなぜこのようなことを考えているかというと、最近さまざまなインターネットサービスが生まれていますが、はたしてそうしたことから生まれる利益(お金だけではありません)を享受しているのは、どんな人で、どれくらいなのだろうか、ということが気になったからです。
情報化の動きが世界経済の牽引役としてもてはやされるとは言っても、それがインターネットをやらない人、パソコンには興味がない人、そういう人たちの疎外に結びついては、意味が薄れるような気がします。
自動車が普及する前の話です。アメリカのある都市では、市民の足として、路面電車が整備されていました。そこへ自動車会社が入り込んできました。路面電車会社を買収し、ことごとく運行廃止にしました。その結果、その街では、自動車を買わないことには、暮らせない場所になってしまったのです。アメリカの自動車文明を発展させた裏側は、たとえばこうした犠牲がありました。
ひるがえって、いまのインターネット・マルチメディアブームはどうでしょうか。昨年頃までは、「インターネットが普及されれば、タテ社会が崩壊し、みんなで情報の共有と対話ができて、ヨコ社会が実現される」などと、のんきなことを悠長に語る人々がいましたっけ。情報機器が使いこなせないと、新しい利益を享受できず、相対的に損害を被ってしまう。そんな動きを感じているのは私だけではないはずです。インターネットを愛する人間の一人として、インターネットのますますの発展を願う一人として、私はこうした側面にも目を配らない限り、インターネットの発展そのものまでもが、いびつなものになってしまうのではないかと思うのです。