経済発展の著しいインドネシア。特にジャカルタのような都市部では「毎月のように景色が変わる」とさえ言われるほどのスピードで変化を遂げています。
そんな激動するインドネシアに、実に15年ぶりに訪れたのが、ジャーナリストで知られる田原総一朗さん。その田原総一朗さんのインドネシア訪問レポートがいくつかのサイトで公開されていました。
最初に訪問したのが、1977年。2回目が1998年で、今回が3回目の訪問となるそうです。
【写真:高層ビルが建つジャカルタ中心部(2012年11月)】
(1) 熱気あふれるインドネシアは日本のASEAN戦略の拠点 | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉 (2) アジア戦略の大拠点に 日本にとってのインドネシア 田原総一朗さんに聞く(じゃかるた新聞) (3) 田原総一朗「ジャカルタでJKT48の熱気に日本の明るい未来を見た」 現代ビジネス [講談社] |
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上記3点の内容を私なりに要約すれば
むかし取材で行ったきり、しばらく行っていなかったけど、今回行ってみたら、すごく発展していてびっくり! いつの間にこんな風になったの? これからの日本にとってますます大事な国だね。JKTのコンサート行ったらすごかったよ! |
という、とても参考になる(笑)レポートです。
(1)は長文のレポートになっていますが、
(2)は、現地の日本人向け新聞「じゃかるた新聞」が
久しぶりのインドネシア訪問を果たした田原総一朗さんに、現地でインタビューした内容。
そして(3)は、とても短い内容になっていますが、
(1)は文章で、(2)はおしゃべりで・・・という印象。
全体的に、内容はほぼ同じです。
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・・・と言っても、私は今回のレポートを茶化すつもりはありません。
田原さんが最初にインドネシアを訪問したのが、1977年。
2回目が1998年で、今回の2013年が3回目の訪問。
私がジャカルタを最初に訪問したのは、1976年。
前回、2012年11月にもジャカルタを訪問していますが、その前は、16年前でした。
(毎年のようにインドネシアを訪問していますが、ことジャカルタに限定すると、この16年間、行く機会が無かったのです)
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田原さんのレポートを読むと、「すげー、いつの間に、急成長したの?」という素直な興奮が伝わってきます。それはおそらく「1977年、1998年のジャカルタを知っているからこそ」という気もします。
■熱気あふれるインドネシアは日本のASEAN戦略の拠点 | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉 そして3回目の今回、とにかく驚いた。過去の訪問で最も高価で近代的なホテルだった「ホテル インドネシア」(現在のホテル インドネシア ケンピンスキー)は、今では古くなり、ジャカルタ市の歴史遺産に指定されている。市内には超高層ビルが林立し、新たに建設された国際的なホテルはどこも満室の状態だ。 |
JKT48のコンサートにはインドネシアの若い男性ファンがたくさん詰めかける。おもしろいことに、彼らは「チョーゼツカワイー(超絶かわいい)!」と日本語で叫ぶ。日本のAKB48から仲川遥香さんと高城亜樹さんが昨年移籍しているが、彼女たちには「ハルカ、サンジョー(参上)!」「アンコール、イクゼ!」と、これもまた日本語で大声援するのだ。 |
私自身、昨年15年ぶりにジャカルタを訪問した時も、
実は同じような感想を持ちました。
毎月のように変化する急成長都市にあって、15年ぶりに触れる街並みの息吹は、まさに「すげー、いつの間に!」としか表現し得ないものなのです。
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詳細は、上記のレポートを見ていただくとして、この成長の息吹を感じたい方は、ぜひ、実際にインドネシアを訪れてみてほしいと思います。
片道8時間。簡単に行くことができます。毎月のように変わる成長都市。この勢いを肌で感じることは、非常に有益だと思いますよ。
後ろ向きな日本社会にどっぷりつかっていると、マインドも思考もどんどん内向きになってしまいます。成長の息吹に身を置いてはじめて、前向きで、自立的な努力と行動が始められるというものです。
田原さんのレポートは、私が要約したように、たしかにとても単純な内容ではあります。でも、素直な「すげー!」を、そこから感じ取ることができるはずですよ。
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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