清里高原の父、ポール・ラッシュ(Paul Rusch)をご存知でしょうか?
暑い日々が続く夏。そんな夏を避ける「避暑地」と言えば、思い出されるのは軽井沢や日光。そして、それらに並んで挙げられるのが、山梨県の清里高原です。
リゾート地としての軽井沢や日光は外国人によって切り開かれましたが、それらと同様、清里高原もまた、外国人によって切り開かれています。それが、アメリカ出身の、ポール・ラッシュという人物。清里高原の師とも呼ばれているそうです。
1925年に28歳で来日し、1979年に82歳で東京で死去。親日家としても知られ、日本で様々な活動に尽力することになるのですが、そんな彼も、初めから多くの支援者に恵まれていたわけではありません。今回は、そんな彼を支えた言葉をご紹介します。
【写真:ラッシュの名言を通じて彼の足跡をたどれる一冊、「ポール・ラッシュ一〇〇の言葉」】
目次
清里高原の「清泉寮」と「清泉寮ソフトクリーム」
ポール・ラッシュと言えば、清里高原の「清泉寮」が有名です。キリスト教を日本で広げるためのリーダーを訓練する「青少年訓練の拠点」(キャンプ)として創設された総合宿泊施設。KEEP(Kiyosato Educational Experiment Project:清里教育実験計画)の一環としてつくられたものですが、もともとはキリスト教研修の中心施設としてスタートした施設です。
■清泉寮
また、ポール・ラッシュは、日本の新しいモデルの農村コミュニティーをつくろうと、「キープ協会」を設立。清里高原の開拓と酪農の振興に尽力したことで知られています。
この「清泉寮」は、現在でもキープ協会によって運営され、宿泊研修施設として親しまれています。とくに「清泉寮ソフトクリーム」は名物として知られ、旅行者の人気を集めています。またこの施設の中には、彼の歴史をまとめて展示している「ポール・ラッシュ記念館」もあります。
1925年に28歳で来日し、1979年82歳で東京で死去。親日家と知られ、日本でのアメリカンフットボールの普及に貢献したことでも知られています。
ポール・ラッシュと日本の接点は?
そもそもの歴史をたどると、若くしてキリスト教団体にいた彼は、関東大震災後の復興のために、日本に派遣されます。
復興後、すぐに帰還するはずだったものの、縁あって、立教大学の先生へ。その後、聖路加病院の建造など、世界中からの寄付を集めて、日本の復興に尽力します。
戦争が始まって、アメリカへの帰国命令が出るも、日本人を信じて帰国拒否。強制送還された後、戦後になってから、再び日本へ派遣され、再度、日本の復興に尽力することになります。
ポール・ラッシュが生涯をかけて情熱を注いだ舞台、清里高原
清里は、日本の再興と民主主義確立を目指して、また、キリスト教に基づく民主主義コミュニティーの樹立のため、彼が生涯をかけて情熱を注ぐ舞台となりました。
大変な困難を伴う場面にあっても、彼はくじけることなく、前向きに活動を進めたといいます。
アメリカ人にしては、身長160センチという小柄な彼は、その容貌もあってか、日本の人々に好意的に迎えられます。そんな孤独でも情熱をもった彼を支えた言葉。
それが、
” Do your best, and it must be first class. ”
「最善を尽くせ、そして一流であれ」
清里では、そう訳されています。
【写真:ポール・ラッシュ記念館にて】
「最善を尽くせ、そして一流であれ」というポール・ラッシュの名言
私はこれがどのような文脈で語られたのか、その前後関係を知らないという前提で言うのですが・・・、
この一文を読む限りでは、「最善をつくせ。そうすれば必然的に一流なものにならざるを得ないだろう」と訳すのが適切かと感じます。
先日、清里高原の「清泉寮」にある「ポール・ラッシュ記念館」を訪問する機会がありました。
そして、この名言にじっと対面するという機会を得て、素直に「あぁ、良い言葉だなぁ・・・」と感じました。
大変きびしい言葉、でも、とても勇気を与えられる言葉
「最善を尽くせ、そして一流であれ」
これは、大変厳しい内容です。
そして、短期的に取り組むことができても、すぐに疲弊してしまいそうな気がします。
でも、英語に忠実に理解するならば、「最善をつくせ。そうすれば必然的に一流なものにならざるを得ないだろう」となります。
どんなに些細なことでも、一生懸命に努力してあたれ。そうすれば、時間はかかっても、一流の輝きをもったものになっていくはず。
これなら、頑張り次第で達成できそうな気がします。そして、「どんなに些細なことも一生懸命頑張る」という精神。これは、とても大事なことだと感じます。
量は質に転化する、亀はウサギに勝てる
「こんなことを頑張ったって、意味無いのでは?」
克己心をもって何か新たな分野に打ち込む時、そう思う瞬間が、誰しも必ずおとずれるものです、
「もうこれ以上、伸びないのではないか?」
そう思って挫折をするのです。
でも、一生懸命に取り組み続けること。そうすると、一流なものにならざるをえない、というメッセージ。これは、一つの朗報と言えるのではないでしょうか。
死に物狂いで頑張りに頑張りを重ねると、いつか次のステップにたどりついてしまう・・・ということです。量は質に転化する、ということです。亀はウサギに勝てるということです。
1枚1枚タイプライターで書いたポール・ラッシュの100万通の手紙
ポール・ラッシュは、募金を集める活動を進める上で、たくさんの手紙を書いて、アメリカに郵送しています。
日本の復興の理念を説き、寄付を募る。
なかなか集まらない募金を、募り続ける。
彼が送った寄付依頼の手紙は、なんと100万通に達するそうです。1枚1枚タイプライターで記すことにこだわり、定形文を大量印刷するようなことはしなかったラッシュさん。
これこそは、「最善を尽くせ、そして一流であれ」ではなく、「最善をつくせ。そうすれば必然的に一流なものにならざるを得ないだろう」の精神をもって尽力した表れのような気がしてなりません。
多くの支援者を集めることに成功したポール・ラッシュ
そうした尽力から、清里高原がコミュニティーとして立ち上がります。
【写真:資料館で無料でいただけるコーヒー。「KEEP」はラッシュさんの団体名】
彼の努力は人の信頼を寄せ付けるもので、リタイヤする際には、通常ではありえない程の有力者たちが彼の元に集まったと言います。
吉田茂元首相のプライベートアドバイザーでもありながら、清里の人々にも愛されたラッシュさん。努力に勝る偉業は無い。それを強く思わせる存在です。
今こそ、ポール・ラッシュの地道な精神を
どんな困難があっても、些細なことにも手を抜かず、一心不乱に常に前向きに闘い続ける精神。
ぜひとも大事にしたいものです。
清里高原に訪れた際は、ぜひ清泉寮の「ポール・ラッシュ記念館」を訪れてみてください。
実に深いですよ。
【写真:私の右側にある建物がラッシュさんが使われていた邸宅】
このコラムは、2007年8月18日に配信したメールマガジンを転載したものです。
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