インドネシアに初めてくる日本の若者から、たまに聞かれることがあります。
「やっぱり戦争のこと、怒っているんですよね? いろいろ言われますか?」って。「謝ってから交流した方が良かったりしますか?」等々です。この点について、皆さんはどう思われますか?
日本によるインドネシアの占領は、一般的には1942年3月のオランダ降伏から始まって、1945年8月のポツダム宣言受諾、およびインドネシアの独立宣言までの、約3年半の期間を指しています。今回は、あるタクシー運転手との会話からのエピソードをご紹介します。
目次
戦争のとらえ方は一様ではない、その難しさ
戦争というのは良いも悪いも無くて、被害を受けた人たちがたくさんいる以上は、そういう弱者の存在の目を向けずに、いたずらに勝ち誇るべきものではないというのが私のスタンスです。
でも、いたずらに低い姿勢で、過剰に責任を感じたり、過剰に謝って交流を進めていくというのも変な話。実際インドネシアで暮らしていると、その正反対の対応をする方にも出会うんです。
「僕のお父さん。日本語がすっごいうまいんだよ」の理由
先日ジャカルタを訪れた時のことです。
タクシーに乗ると、おじさんが話しかけてきました。
「あれ、君、インドネシア語できるんだ?」って。喜んでくれて、いろいろ話をしてくれたのですが、彼は「そうだ」と突然、語り始めました。
運転席でハンドルを握る姿を後ろから見る限りでは40代くらいに見えた彼。
「実はね、僕のお父さん。日本語がすっごいうまいんだよ」と。
「え? なんで、そんなにできるんですか?」と聞いた時、彼は言ったのです。
「戦争があったでしょう?」って。
てっきり40代かと思っていたので、「戦争」と聞いてピンとこなかったのですが、なんと彼、もうそれなりの初老の方だったのです(笑)
「日本が占領していた時期があったでしょう?」と。
私は「そうですね・・・」と反応するものの、この人の場合どちらにころぶかなと思っていました。というのは最近の若い世代になると「日本は悪いことをした」に偏る人を散見するためです。
インドネシアを占領した日本、そのとらえ方も様々
[Mr.Stefan Magdalinski] View from our Jakarta apartment / smagdali
彼は言いました。
「当時は日本語がメイン言語だったからね。お父さんは頑張って日本語を身に着けたんだ。その前はオランダ時代だったから、僕のお父さんはオランダ語もできるんだ。今でも流暢にできるんだよ」
そして言いました。
「日本は占領期に我々を訓練してくれたよね」
「でも、日本は帰っちゃった。原子爆弾が落ちたせいで。みんな日本に帰っちゃった。で、その後にオランダがまたやってきたんだけどね」
「日本は占領期に我々を訓練してくれた。だからオランダと戦うことができたんだ」と。
現場の声に耳を傾け続けること
この「日本は占領期に我々を訓練してくれたよね」という発言。もしかしたら、日本の若い人たちが耳にすると、「?」と思うかもしれません。でも、意外とそういう部分も口にする方、インドネシアで暮らしていると、意外といることに気づきます。
私は、だからと言って「反省するな」「誇りをもて」と言うつもりはありません。でも、過剰に卑屈になるのはおかしいなと思います。「教科書だったり先生の言葉だったりに忠実に従うだけでなく、こうした現場の人たちの声にも耳を傾けてみては?」と。
少なくともこの運転手さんのお父様は、子供に対して、そのように教えたわけです。「日本は占領期に我々を訓練してくれた」と。
歴史の重み。認識がもつ意味。本当に深いですよね。こうしたものを肌で感じるためにも、日本の若者にはもっともっとアジアに目を向けてほしいし、もっともっと現場に足繁く通ってほしいな・・・というのが、おじさんとしての私の願いです。
【参考】インドネシアの残留日本兵について
「インドネシア残留日本兵」をご存知ですか? 日本の降伏後も日本への帰還を拒んでインドネシアに残り、インドネシア独立のために戦った日本兵たちがいます。「インドネシア残留日本兵」に関するブログ記事は、こちらもどうぞ。
【参考】インドネシアのタクシー運転手との思い出
インドネシアでタクシーに乗っていると、なかなか楽しい思い出深い経験をすることがあります。いくつかご紹介します。
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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