頼る存在と、頼られる存在

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頼りすぎると出来なくなる。
そういうことは、いろいろあると思います。

PCに頼りすぎた結果、
手書きの際に、どうも思い出せない漢字が増えたという方、
意外と多くいらっしゃると思います。
例えば、そういうこと。

便利さを享受する時、
人は、その便利さばかりに目が行きがちですが、
その反面で、失っているものも存在するということにも、
目を向けるべきなのです。


 
 
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便利なもの。
これは本来、自分に役立つはずのもの。
でも、その手段を妄信し、依存しきってしまった場合、
それなしでは、やっていけない、弱い自分を創ることになってしまいます。

そして、そんな依存対象が急に無くなってしまった場合、
自分の力でやっていかなくてはいけなくなります。
 
 
     □     □     □
 
 
でも実はこの時、ようやく、その人に力がつき始めます。
頼っていると、自分の力は100%発揮されることがありません。

でも、
自分でやらなくてはいけないとなれば、
たとえ力不足であったとしても、
120%以上の力を発揮しなくては、解決することができないからです。
 
 
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人が成長し始めるのは、
誰にも任せることが出来ない時、
つまり、自分がもっている力を全面的に発揮しなければいけない時です。

自分の力を120%以上、出し尽くす。
それでも、クリアできるかどうかわからない。
でも、死に物狂いでアタックする。

そうして始めて、人は成長という果実を手にすることができるわけです。
 
 
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日常ではなかなか気づきにくいものですが、
よくよく考えてみれば、依存できる対象というものが、
意外とあふれていることに気づくはずです。

できなくても与えられるという場面。
とても多いはずなのです。

世の中を見渡してみても、
完全フルコミッションスタイルの仕事、意外と少ないですよね。
与えられた目標に対して、突出して成果を出せている人、
意外と少ないですよね。

つまりそれだけ、誰かに依存しているということなのです。
気づかないうちに。
 
 
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できるようになるための突破口は、
まず第一に、
いま現在、何にどれくらい依存してしまっているかを認識すること。

そして、その依存体質を脱却するためには、
自分が何をしなければいけないかを確認すること。

人の力を借りることは大事。
でも、それが過度の依存だった場合、
誰かに負担をかけて生きているということになります。
 
 
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せっかく、この人生を歩んでいる以上は、
誰かに貢献し、何がしかの価値を生む存在でありたいものです。

依存する存在ではなく、
依存される存在でありたいものです。
受け取って当たり前、もらって当たり前。
そういう発想は、自分の能力をおとしめることにもつながります。

与えて当たり前、発揮できて当たり前。
頼るのではなく、頼られてこその、価値ある人生。
こうした強い自覚が、人に成長という果実を与えることになるのだろうと、
私は思います。
 
 
 
 
このコラムは、2008年8月13日に配信したメールマガジンを転載したものです。
 
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 2008年8月31日            渡邉 裕晃

 

 

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