「インターネットをやってきて」〜バーチャルとリアル、デジタルとアナログ〜

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☆ 今回の主な内容 ☆
二年前の夏にホームページを開設し、昨年の夏からはメールニュースを発行するようになりました。今回は、Samsul’s Choice の一周年記念として、私とインターネットとの関係について、思ったことや感じたことをまとめてみたいと思います。


<<<  過  去  >>>

私がはじめて電子メールを使ったのは、1985(昭和60)年か1986(昭和61)年のことになります。当時は「インターネット」ではなく「パソコン通信」を使ってメールをやりとりする時代でした。もちろんISDNはありませんでした。個人レベルでは、なんと 300bps (1秒間あたりのデータ転送量のこと)という、おそろしく貧弱な性能の「音響カプラ」と呼ばれる通信機器を、電話回線(電電公社の黒電話!!)とパソコンの間につないで通信するのです。今から思うと信じられないかもしれませんが、当時のパソコン雑誌の論調は「個人で1200bps.のモデムを使うのは贅沢だ」という意見が中心だったのです。それが今では「高速モデム」(22800〜33600〜56000bps)やらISDNやら(64000〜128000bps)なのですから、「技術の進歩」とは実にすさまじいものです。

さて、この黒電話を持ち、手動で電話をかけます。しばらくしてガーガーという音が鳴りだします。そして受話器をカプラにカチッとはめ込んで通信をするのです。ここで、このはめ込みがきちんとできていないと、その隙間から入る雑音を拾ってしまい、文字がたちまち化けてしまいます。チャットをやっているときに、リアルタイムで1文字1文字が左から右へと少しずつ少しずつ表示されていくのですが、ここで試しに受話器を数ミリ微妙に持ち上げてみると、その時に左から右へと一生懸命に表示されていく、まさにその文字から、たちまち化けていくのです。

このとき「うわぁ、すごい!! ガーガーという音が、本当に文字を伝えるデータとして伝わっているんだぁ」と感激しました。電話回線を伝ってパソコンにデータが転送されていく「現場」をナマで味わっている感触がして、大いに感動したのを覚えています。このとんでもない技術の仕組みの一端を、まさに「皮膚感覚」でもって感じとることができたこと。これは私にとっては大変貴重な経験だったと思っています。

ただ正直を言えば、この時これが時代を変える道具になろうとは思ってもいませんでした。ですから、それに気づき、予兆として受け止め実際に行動に移していた西和彦氏(アスキー取締役:アスキーエデュケーションカンパニー、プレジデント)の活躍ぶり、とりわけ氏の20代から30代の頃の活躍ぶりを見ると、ある意味でとんでもない天才なのだなと、なかば実感として思うわけです。

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<<<  現  在  >>>

さて、この二年だけを見ても、インターネットの世界はだいぶ変わってきています。企業がビジネスで活用するようになったことはもちろんのこと。個人レベルでも、電子メールは必需道具になっています。個人ホームページを立ち上げている人もとても多くなりましたし、そういう個人の中から「ネット上の有名人」も出現しています。

メールニュース・メールマガジンという媒体も急速に認知度を上げています。約一年前、本誌(Samsul’s Choice (No.4)(97.09.05))のコラム欄で「メールニュースに流行の兆し?」という文章を書きましたが、個人で発行する方々も急増し、ここからも有名人が現れました。法人レベルでもどんどん利用が進んでいます。発行する側だけでなく、発行の支援を行う側にも大手企業の進出が始まっています。例えば今年の七月には、ニフティサーブが “Macky!”( http://macky.nifty.ne.jp/ )というページを立ち上げています。

私は二年ほど前にホームページをつくりました。当時はまだまだわからないことも多く、内容を少しずつ改善させながら、本や雑誌を読んだり、人に聞いてまわったり、自分で試行錯誤したり……という具合でやってきました。だんだん面白くなっていき、今度はメールニュースを発行するようになりました。なかなか思うようにいかないことも多くありましたが、それなりにいろいろな楽しさも味わいました。

人によってホームページを開設する理由、目的は異なるでしょう。私の場合は、最初は純粋な好奇心と楽しみでつくっていました。今では人との出会いをつくることに重きをおいています。インターネットを使い始め、自分でホームページをつくるようになり、メールニュースを発行して……という具合にやってきた、この二年半。インターネットを介することで、いろいろな方にめぐりあうことができました。ネット上で知り合ったことがきっかけで実際にお目にかかった方もいますし、お会いしていなくても、メール等でいろいろとお教えいただく方もいます。単なるつきあいにとどまらず、思わぬヒントや発見にめぐりあって勉強させられることもあります。

その結果、最近おぼろげながらわかってきたのは、インターネットであろうと現実の世界であろうと、人と人とのつきあい方は、基本的な部分においてはあまり変わらないのではないか。いやもっと言えば、ほとんど同じなのではないか、ということです。

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<<<  未  来  >>>

インターネットの登場で、私の世界は広がりました。多くの方がコミュニケーションの幅を広げられていることと思います。ではこのインターネット、これから私たちにどのようなインパクトを与えることになるのでしょうか。そもそもインターネット自体、これからどうなっていくのでしょうか。インターネットをやっているうちに、いろいろと思い描きたくなってしまうテーマだと思います。

今から二年前、私がホームページを開設した頃の論調を見ると、悲観論と楽観論とで二分されていたように思います。インターネットはビジネスにそれほどの影響はもたらさない。インターネットが生活を変えるとは思えない。インターネットなど数年で消滅するぞ……。そんな意見もありました。しかし今日の状況を見ると、インターネットをはじめとする情報化の流れは、もはや不可逆のものとなってきていることがわかります。これが第一のポイントです。

二つ目に思うのは、頭脳や戦略といったものが、ますます重要になってくるのではないか、ということです。インターネットはさまざまな可能性を開いてくれます。インフラ不足を嘆く声もまだ残っていますが、今既にあるインフラ設備だけでも、かなりのことができるのではないかと思います。たしかに不足する部分はたくさんあります。ただ「インフラはほぼ整ってきた」と見ても良い場合(事例)そのものは、かなり増えてきたのではないかと思います。利用する側の人間のアイディア次第で、いろいろなものが可能であるわけです。

例えば「インターネット・リサーチ」というものがあります。詳細は省きますが、従来型の調査手法と比べると、いろいろなデメリット(不確定要素)をかかえつつ、大きなメリットも兼ね備えています。例えば定性分析では、能動的な回答者による大量の回答が集まりやすいという傾向があるように思います。データ収集の仕掛けを考えることはもちろんのこと、これらのデータから意味をつかみ取るという作業も人間の能力に負っているわけですし、そこから新たなアイディアを創り出すのもまた、人間の能力に負っているわけです。

先日あるベンチャー企業の経営者が、自己の経営責任をインフラの貧弱さに押しつけるような責任転嫁の発言をされていて、ちょっと悲しい思いをしました。ただ、そういう企業がこれから衰退していくであろうことは間違いありません。また、戦略を欠いたまま、ただやみくもにインターネットを導入することは、下手をすれば企業の力を強めるどころか、かえって企業の労働生産性を減退させ、足を引っ張ることにもなりかねないと思います。

可能性が増えた分、知恵を絞っていかに活用していくか、そのアイディアが余計に問われてきます。インターネットの普及が進み情報化が進展するにつれ、人間の頭脳や会社の戦略といったものがますます重要になってくる。これが第二のポイントです。

私が感じた第三番目の点は、「人間関係」は依然として重要であり続けるということです。逆説的なようですが、パソコン、インターネット、デジタル……、といった類のものがスタンダードになるにつれ、人と人との関係、心の交流、相手への思いやり、さらに言えば、一期一会と会者定離の精神とでも言うべきものが重要になるということです。

例えばインターネットを利用した通信販売システムに「ウェブショップ」と呼ばれるものがあります。インターネットに店を出せば、何もしないで次から次へとモノが売れていく、というイメージを持つ方もいるようです。しかしプロのウェブショップ経営者たちの分析などから最近になって通説となってきたことですが、インターネット上のショップ経営は、リアルビジネスと同等の質が提供できないとほとんど成功しないようです。大手企業のウェブショップでも、つい以前までは、リアルビジネスでは考えられないようなマナー違反が垣間見られたものです。これはウェブショップに限りません。一般の企業と顧客のメールのやりとりにしても言えますし、個人と個人とのメールのやりとりにしても言えることです。

また、ネット上で知り合った方と直接お会いしてお話をしてみると、またいろいろな発見やらめぐりあわせがあるものです。ここで言う「人間を大事にする」というのは、インターネット上に限定されることではありません。人間の基本としての「楽しい」とか「嬉しい」とかいうものもますます重要になるような気がします。これが第三の点。

こうした点で、ミサワホームの三澤社長が語ったと言う「モノを売る能力があって、人間関係を大事にしさえすれば、とりあえず生きていくことはできるし、それで起業しても倒産することはない」という言葉は、ますます正しさを増していくのではないかと思います。

また株式会社カレンの山内社長は「インターネットを、単なる情報の送受信のための手段としてではなく、相思相愛の情報インフラへと構築していきたい」と語っています。理念の方向性としては、実に期待できるものだと思います。

さて、ここまでで何かお気づきのことはあるでしょうか。第二、第三の点からわかること。それは、一見矛盾するようなことなのですが、ヴァーチャルとリアルは密接につながりあっている、ということです。そこで第四番目の点として挙げたいのは、「ヴァーチャル」と「リアル」は、相対する概念ではないのではないか、ということです。

二番目に挙げたのは、頭脳・戦略が重要になるということ。そして三番目は、人間関係の重要性でした。機械は人間の体の機能を拡張させるものだと言われます。例えばクルマは人間の足の機能を拡張させました。デジタル関連が普及するにつれ、人間のもつ機能は拡張されていくでしょう。そうすると、ビジネスであれ個人レベルであれ、人間一人ひとりの能力は「機械によって置き換えることのできない能力」によって計られるという傾向が顕著になっていくはずです。乱暴に言ってしまえば、デジタル時代が進めば進むほど、デジタル技術によって置き換えることのできないような種類の能力が重要になってくるわけです。つまりヴァーチャルとリアルは、相対する概念ではないということです。

ただ、ヴァーチャルとリアルの違いはどこにあるのかと問われると、なかなか難しい問題になります。私自身もまだ自信を持ってハッキリとは言えませんが、ヴァーチャルでは透明性と匿名性とが同時並列的に進行します。その透明性と匿名性の及ぶ範囲が、ヴァーチャルとリアルとではそれぞれ違うのではないか、という気がしています。「リアルの世界で現れやすいもの」を見えなくさせ、「リアルの世界で現れにくいが、よりリアルなもの」をより露出させることもある、と。本質的でないものを隠し、本質的なものを、よりリアルに見せつける。それがリアルと比べたときのヴァーチャルなのかもしれない、と思っています。ただこの点については、まだ自分自身で回答を出せていません。

ヴァーチャルとリアルは似たもの同士であり、相対する概念ではないのではないか、というのが四番目の点です。そもそもこれは英単語の意味を探ると歴然としてきます。” virtual ” というと「仮想」とか、現実世界と対の関係にある世界、フィクション、といったイメージで訳されます。しかしよく見ると、副詞形である ” virtually ” には「実際には」「本質的には」という意味があります。” virtual ” にも「事実上の」「実質的な」という意味があるわけです。そうするとバーチャルを「フィクション」と直結させると誤解を招く可能性が出てきます。ある方の訳を見たときに「これは名訳だ!!」と思ったのですが、「これもまた現実」というように解した方が良いのではないかと思うのです。

この考えは、私の単なる推測、憶測、夢想(妄想?)の域を出ないものかもしれません。しかし、こうした考えがあながち的外れなものでもないと仮定した場合、「ヴァーチャル=仮想」の含有するパラドックスは氷解するわけです。インターネットを始めた頃はいくら本を読んでもわかりにくいことが多かったのですが、この矛盾は、ずっと疑問に思っていたことでもあり、また重要なテーマでもあったのです。そしてこれは今後もずっと考え続けていくべきテーマなのではないかと思っています。

さて、第五の点。インターネットはあくまでも道具に過ぎず、一足飛びに幸福と安寧と平和を招来するものではない、ということです。あたりまえだと言われればそれまでですが、二年前や三年前を振り返ると、あながちそうとも言えない意見が見られたのです。いわゆるインターネット楽観論として、インターネットで快適な生活がおくれるようになる。通勤しなくても済むようになる。貧しい者と豊かな者とが交流する場ができ、世界は一つになる。そんな意見がありました。ピラミッド構造はフラットな関係になり、タテ社会はヨコ社会になり、世界の平和も達成される、などという、お気楽なことを述べる大学教授もいました。

ここで私が思い出すのは、菊池寛の残した言葉です。今から約80年前の1920(大正9)年、雑誌「日本及日本人」の春季増刊号として『百年後の日本』という本が出版されています。百年後の日本がどうなるかを、当時のあらゆる分野の著名人 250人へアンケート調査したものです。いろいろな意見があって面白いのですが、この調査に対し、菊池寛はこんな回答を寄せています。

自分が生きていそうもない百年後のことなどは、考えても見たことがありません。ただしかし、人間がこれから、だんだん幸福になっていくかどうか、大いに疑問だろうと思います。人類の真の幸福というものは、社会改造論者などの手で、ヒョイヒョイと生まれるものでしょうか。

菊池 寛

ピラミッド構造がなくなるという意見もあります。しかし私は、ピラミッド構造の構成要素が変化すると見た方が良いのではないかと思います。そして下からの一発突破はより起こりやすくなるものの、それはごく限られた人たちの「努力」と「行動」と「頭脳」とによるものであるはずです。なんの努力も払わずに……、なんてことはあり得ないでしょう。そして上下関係そのものは、中身は変わっても、原則部分は存続すると思います。

では、これらのことから「まとめ」として言えることは何でしょうか。インターネットはこれからどうなるか。すぐに答えを出すのは難しいでしょう。第一、進展があまりにも急速です。「今言ったことが、三年後にはウソになる」という世界です。ただ私は、おおまかな方向性としては今まで述べてきたような感じではないかな、と考えています。

こうしたなかで、私たちはデジタルやインターネットというものに、どうつきあっていったらよいのでしょうか。月並みな言い方かもしれませんが、「スピードに乗りつつ、ふと立ち止まって考えること。ちょこちょこいじって仕掛けてみること」と言いたいと思います。

インターネットはまだまだ始まったばかりです。デジタル革命もまだ序盤戦でしょう。いろいろと新しい動きは起こってくると思います。定説のない世界だけに、考えれば考えるほど、また、行動して試行錯誤を繰り返すほど、思わぬ発見があるのではないかと思います。

もはや電子メールのない世界など考えられず、情報革命、デジタル革命は後戻りすることのできない不可逆の道を歩んでいます。新しい時代への突入を予感させるものがあることもまた事実です。だからと言って、何でも変化すると一足飛びに考えるのはいかがなものかと思います。何の努力も払わずに、みんなが平等に成長していくと思うのは、いかがなものでしょうか。

一足飛びに考えるのではなく、ふと立ち止まりつつ考えること。考えるだけでなく、行動してみて試行錯誤すること。わかりやすく言えば、「インターネット社会」に対して、つんつん、つっついてみるイメージです。こうしたことがますまず重要になるのでは、という気がします。スピードを追いかけることも大事ですが、スピードに追いかけられるようになれば、それは本末転倒です。

さらに、これらの点に加えて思うのは、今回の情報革命を「特別のもの」と考えすぎない方が良いのではということです。例えばインターネットの普及や情報の国際化によって国境が無くなったと言われることがあります。ですが、もともと「国家」が想像上の共同体である以上、「国家」というもの自体がフィクションだったはずです。時代を変革させる革命の道具などと特別視するのではなく、「偏った世界から、偏りがとれていくのを促す道具」というぐらいにとらえたら良いのだと思います。これは表現が良くないかもしれません。適切なうまい表現、言い方がないのですが、あえて言えば「より普通に戻っていく」「より本質に戻っていく」と考えた方がわかりやすいのではないかという気がします。

【インターネットを通じて感じたこと】

情報化の流れは不可逆。
頭脳・戦略がますます重要になる。考えるといろいろなことができる。
人間関係は依然、重要なものであり続ける。楽しさ、嬉しさに注目を。
ヴァーチャルとリアルは本質的に似たもの同士。反発せず融合する。
一足飛びに、幸福と安寧と平和を招来するものではない。あくまでも道具に過ぎない。
特別視するな。今までが特別だったのだ。
(予兆か? それとも単なる夢想か?)

インフラはほぼそろい始めており、可能性に満ち始めています。その可能性を顕在化させるのは、人間一人ひとりが持つアイディアです。頭脳と戦略と努力と情熱とでうまく活用すること、人間を大切にすること、人間の人間たるゆえんの部分を大事にすること、そうしたところからしか成功は生まれない。これは昔からの原則かもしれません。そんなことを思う二年半でした。

さて、皆さん自身はインターネットを通じてどんなことを感じられたでしょうか。先に述べたように、私は二年前の夏にホームページを開設し、昨年の夏にはメールニュースを発行するようになりました。今年の夏は、何を始めてみようかなと今からいろいろ考えているところです。

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