人生を最大限に楽しみつくそうと思うならば、「生き急ぐくらいに一生懸命に生きる」ことが大事と私は考えています。そして最後の瞬間まで頑張るということ。前のめりに生きるということは、カッコ悪い生き方どころか「カッコいい生き方」ではないかと。
なんといっても、「人生は短い」のです。思い切り生きなくて、何のための人生だと言うのでしょうか? 今回は「生き急ぐ」をテーマに書いてみます。
2013-07-12 Closeup / mrsdkrebs
目次
「生き急ぐ」という言葉の意味は?
まず「生き急ぐ」とはどういう意味かということになるますが、調べてみたところポジティブな意味とネガティブな意味の両方で使われているようです。
「デジタル大辞泉」を見ると「限りある命を急いで終えようとするかのように生きる」とあり、例文に、「行き急ぐ無軌道な若者たち」と、ネガティブな意味合いでの説明がされています。
一方、「生き急ぐ」はポジティブな意味で使われることもあり、「人生を疾走する」「一生を駆け抜ける」「一生を走り抜ける」「太く短く生きる」「前のめりに生きる」「つんのめるように生きる」といった類語が見受けられます。今回私が書いているのは、ポジティブな意味合いでの「生き急ぐ」になります。
脳科学者の茂木健一郎さんの名言
脳科学者の茂木健一郎さんが、facebookでこのように書いていました。生き急ぐことについての名言とも言えるものです。
結局、人生って、いっしょうけんめい生きて、最後の瞬間までがんばって、はい、御役目ごめん、ということなんじゃないかと、折り返し地点で考える。 |
結局、人生って、いっしょうけんめい生きて、最後の瞬間までがんばって、はい、御役目ごめん、ということなんじゃないかと、折り返し地点で考える。
Posted by Ken Mogi on 2016年1月26日
「いっしょうけんめい生きて、最後の瞬間までがんばって」という生き方。私は素晴らしいことだと思います。
・一生懸命に生きる。 ・最後の瞬間まで頑張る。 |
ということです。
生き急ぐくらいに一生懸命に生きることが大事な3つの理由
もしかしたら、「暑苦しい・・・」と思う人もいるでしょう。「もっとゆったりと生きようよ!」と思う人もいるでしょう。「今どき、そんな生き方、カッコ悪いよ」と言う人もいそうです。
でも、もし人生を最大限に楽しみつくそうと思うならば、大事なスタンスだと私は思います。もっと言えば、「生き急ぐくらいに一生懸命に生きる」ということです。
人生を最大限に楽しみつくそうと思うならば、「生き急ぐくらいに一生懸命に生きる」ことが大事という理由。私が思うのはシンプルに次の3点です。
(1)PDCAサイクルをグルグルとスピーディーに回していける。 (2)頑張る熱量(エネルギー)の強い人同士が自然とつながって切磋琢磨できる。 (3)与えられた時間は有限。平均寿命まで健康に人生を全うできるのは一部だけ。 |
PDCAサイクルをグルグルとスピーディーに回していける
「生き急ぐくらいに一生懸命に生きる」ということは、とにかく「行動」が多い生き方。
行動が多いということは、それだけ失敗する数も増えます。でも、成功する数も増えます。なぜなら、人は失敗を通じて成長するからですね。行動を重ねないことには、成功に近づくことができない。「転ばないことには、自転車に乗れるようにならない」のと同じです。
行動を増やすということは、plan-do-check-actionの「PDCAサイクル」をたくさん回すことができるということ。
・Plan(計画する)
・Do(実行する)
・Check(評価する)
・Action(改善する)
もともとPDCAは品質改善のための考え方ですが、これを人生にも当てはめることで、成功の確度は次第に上がっていくものなのです。
頑張る熱量の強い人が集まり切磋琢磨できる
熱意は人に伝わります。成功した経営者たちはみんなそう言います。そして、「類は友を呼ぶ」の法則で、「頑張ることを楽しめる」人には、同じような人が集まってきます。
でも、「頑張るのが嫌だ」という人には、同じようにして、「頑張るのが嫌だ」という人が集まってきます。
「頑張ることを楽しめる」人の集いは、自然と、お互いに切磋琢磨しあえる環境になっていきます。結果として、成功の角度は上がっていくはず。少なくとも、人生の充実度は大きく変わってくるはずです。
与えられた時間は有限。平均寿命まで健康に人生を全うできるのは一部だけ
よく「老後の設計をしましょう」という話を聞きます。それは大事なことかもしれません。
でも、全員が平均寿命まで生きることができる保証はありません。確率的に言えば、今日や明日、急に人生が終わってしまうこともあるわけです。死んでしまってから、「あぁ、あれをやっておけばよかった」と悔やんでも、もうどうしようもありません。だからこそ、生き急ぐくらいに頑張っていくこと。生き急ぐくらいにチャレンジしていくことは、とても大事だと思います。
人が死に接して悔やむのは「失敗した過去の経験」ではなく、「生きているうちにやっておかなかったことの後悔」だといいます。
「カッコ悪いと思われるんじゃないか?」という思い
もったいないのは、本人に「精一杯がんばっていきたい!」という気持ちがあっても、「カッコ悪いと思われるのではないか?」と萎縮してしまうこと。
多分、思ってること口にすると、だいたい叶う。その際大事なことは、本気で思うこと、そして本気で口にすること。で本気で準備すること。
、、、でもそれ本気でやっている人をはたで見てる人はバカにするんだよね。というか自分自身もバカにされると思ってだいたい本気でやらないんだよね。
— 角田陽一郎/かくたよういちろう (@kakuichi41) 2015, 12月 3
本気でやる。毎日を真剣に頑張る。
そうは思うものの・・・、
もしかして「カッコ悪いと思われるのでは?」「馬鹿にされるのでは?」そんな思いから、なんとなく力を抜いてしまう。そして、やらなくなってしまう・・・。
これは本当にもったいないことです。自分の意志をつらぬいて、がんばりとおすことができたなら、きっと楽しいことや嬉しいことが起きていたはずなのに。
一生懸命はカッコいい、生き急ぐことはカッコいい
「生き急ぐくらいに一生懸命に生きる」
それはかっこいいことだと私は思います。
だって、前を向いて積極的に進んでいこうとする人たちとの出会い。そういう人たちとの交流から刺激を与え合って前進すること。失敗しても、それを糧にして次の成長につなげていくこと・・・。こんなに素晴らしいことはないと思いますよ。
そんなふうにして積極的に生きる大人の背中を見て、子供もまた、積極的にチャレンジをいとわないようになるのではないかと(もちろん、やり方が間違えば例外は生まれますが)。
眠って夢を見るよりは、現実の中で夢を見たい
茂木健一郎さんは言いました。
結局、人生って、いっしょうけんめい生きて、最後の瞬間までがんばって、はい、御役目ごめん、ということなんじゃないかと、折り返し地点で考える。 |
私は同感です。そして何度でも言いたいです。
「生き急ぐくらいに一生懸命に生きる」それはかっこいいことだと。一生懸命に生きるということは、それだけで素晴らしい。私はそう思います。
「眠って夢を見るよりは、頑張り続けることで、現実の中で夢を見たい」
そんな生き方です。
最後の最後まで頑張ろう!人生を楽しみつくそう!
とっても当たり前なこと。でも、当たり前だからこそ、改めて宣言するのは恥ずかしい。
そういう側面もあるでしょう。
でも改めて言いたいと思います。
毎日を一生懸命に生きよう!
最後の瞬間まで頑張り続けよう!
生き急ぐくらいに一生懸命に生きぬこう!
それこそが人生を最大限に楽しみつくすための近道なんだから、と。
【参考】生き急ぐことの意味や意義を考えるブログ記事
今回は「生き急ぐ」ことの意味と意義についてまとめてみました。これに関連するブログ記事は以下のとおりです。関心のある方は、ぜひご覧ください。
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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