はい、申し訳ありません、親バカ育児日記です。
昨日、私の娘が8歳の誕生日を迎えました。インドネシアに滞在すること1年半。娘にとって、現地で迎える2回目の誕生日です。
前回は家で誕生日パーティーをやったのですが、今回は娘の通う学校で、誕生日パーティーをやってもらいました。インドネシア移住生活から1年半が経過したという節目もあり、実に感慨深い日でした。海外移住生活のヒトコマをご紹介します。
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娘はインドネシアの現地校に通っています。「小学校留学」とも言えるでしょう。
日本の小学校に入ってすぐにインドネシアに移り、まったく言語のできない中で、インドネシアでの学校生活をスタートさせました。そんな娘を地元の学校に送り出すことについては、親としても不安でいっぱいでした。
早いことにインドネシアでの学校生活も1年半が経過。ついに学校で同じ教室の友達から誕生日を祝ってもらえるように・・・。
インドネシアで格闘する娘を支えてきた親としては、一里塚というか、「ちょっとした、ひと休憩」という感じ。感激もひとしおでした。
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この日のために、特別注文でケーキを発注。
はい、親バカですよ・・・。
ギリギリのタイミングでつくってもらい、誕生日当日の昼に、妻と一緒に学校まで持参しました。
学校に到着し、娘の教室に行ってみると、すでに誕生日パーティーの準備ができていて、先生が司会で、お祝いを始めるところでした。娘の学校はキリスト教系列の学校なので、みんなでお祈りをして「アーメン」。
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ケーキを囲むようにして、娘がお祝いされて・・・。
指名された3人の友達も、同じようにお祈りのメッセージ。
「娘へのひとこと」としては、「健康で毎日が過ごせますように」というものから、「もっとインドネシア語ができるようになって!」というエールまで。
ちょうど時間の余裕があったので、私はしばらく教室の後ろから様子を眺めていました。同じ世代の子供たちが、人種の差異を超えてナチュラルに交流してくれているところは本当に嬉しかったです。
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ようやく8年、もう8年。子供の「伴走者」を自認しながら、一緒に走り続けて8年。長いようで短いようで、短いようで長いようで。ただ言えることは、とてつもなく尊い8年だったなと。
これからの将来、はたしていつまで娘が私に寄り添ってくれるかはわかりません。子供は親の所有物ではない以上、はやく良い形で独り立ちをして欲しいと願う一方、でも、いつまでも頼りにされるパパでありたい。そんな思いも湧き上がってきた8歳の誕生日でした。
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本当に毎日が奇跡のようですよ。その思いは、インドネシアに移り住んできてからより強く実感するようになりました。
「子供をインドネシアに連れてきて育てるなんて、そんなのは親のエゴかもしれないんですよ」
そんな風に言われたことも実はあります。
でも、インドネシアで家族と過ごしてきた、この1年半。わずか1年半でも、いろいろな出来事がありました。
子供たちと一緒に格闘して、
妻と一緒に格闘して、
そして家族で一緒に格闘して。
すべてが有意義な経験の宝物。
そんな1年半を振り返ってみて私が思うのは、「インドネシア移住は、とてつもなく素晴らしい決断だった」ということだけ。これからも家族と一緒に精一杯のチャレンジと前進をしていきますよ!
はい、申し訳ありません、以上、親バカ育児日記でした。
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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