昨日、1月8日は、私のインドネシアの祖父の命日でした。
祖父は、その最期が訪れる時まで、12,000人ものスタッフを率いる「経営者」でした。
でも私にとっては、やさしい「おじいちゃん」でした。
【写真:若いころの祖父母】
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私は日本で生まれ、日本で育ちました。
祖父母は、インドネシアで生まれ、インドネシアで生活をしてきました。
だから、一緒に生活した期間は、年に1ヶ月あるかないかという、
とても短いものでした。
でも、祖父母との思い出には、様々なものがあります。
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祖父は、まじめ一筋の人でありました。
早朝が好きで、読書が好きで、仲間と食事会をするのが好きで、
ジョギングが好きで、努力家で、語学が好きで、
人前でスピーチするのが好きで、利得よりも正しさを好む・・・。
また、70代になっても、出張時には祖母にラブレターを送るほどの家庭人でもありました。
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会社に行かない日も毎日のように来客があって、
なごやかな雰囲気のことが多かったものの・・・、
時には一人で、
大事な経営判断と大きな決断に頭を悩ませる姿を見せたこともあった祖父。
それでも、私が朝起きると、
いつもリビングで英字新聞を読む祖父がいて、
一緒に遊んでくれて、
時にはおもちゃを買ってくれる、良きおじいちゃんでした。
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この命日に改めて私が決意したこと。
それは、祖父がインドネシア社会に対し、幾ばくかの貢献を成し得たとするならば、
私もまた、そういう存在になりたいということでした。
インドネシアに対して、そして日本に対して。
残り人生で何を成し得るか、全くわかりません。
でも、日々を走る中で、少しでも、何とか「かたち」をつくっていきたいと思います。
ちなみに冒頭の写真の右が祖父で、左が祖母。
最後の最後までナイスカップルでした。
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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