熊野古道のシンボル「牛馬童子」(ぎゅうばどうじ)像。その首から上が切断され、行方がわからなくなっているとのショッキングなニュース。なんで、こんなことが起きるんでしょう?
目次
明治時代に創られた「牛馬童子像」が愛らしい!
【写真:昨年訪問した時に撮影した「牛馬童子像」】
明治時代に創られた、比較的新しい石像ではありますが、あんなにかわいらしい石像。愛らしい石像。なかなか無いですよ・・・。和歌山県田辺市の指定史跡になっています。
高さ50cmほどの小さな石像で、牛と馬の上に童子がまたがっているというもの。記録によれば、平安時代に熊野を訪れた花山(かざん)法皇の旅の姿をイメージしたものとされています。
牛馬童子像の場所は?
牛馬童子像は、熊野古道の中辺路、箸折峠近くにあります。地図で示すと場所はこちらです。
牛馬童子像の頭部が切断された!
今回「牛馬童子像」の頭部が切断されるという事件が起きたわけですが、詳しいニュース記事は、こちら。地元のサイトから紹介します。
■「牛馬童子」壊される 首から上を切断:紀伊民報(2008年6月20日) http://www.agara.co.jp/modules/tokushu/article.php?storyid=148053 18日午後5時ごろ、田辺市中辺路町近露の熊野古道沿いにある市指定文化財の石像「牛馬童子」の首から上が切断されているのを、通行人の男性が見つけた。切り取られた頭部は見つかっていない。何者かが壊したとみて、田辺署は器物損壊の容疑で捜査している。 |
■ 悲しみ、怒り、ショック 牛馬童子像頭部切断:紀伊民報(2008年6月20日) http://www.agara.co.jp/modules/tokushu/article.php?storyid=148055 「なぜこんなことが起きたのか」―。田辺市中辺路町近露で18日、石像「牛馬童子」の頭部が切断された事件は、紀南地方の文化財関係者や観光関係者にショックを与えた。中辺路のシンボル的存在でこの像に魅せられて何度も訪れる人も多く、修復を願う声も出ている。 |
熊野古道における「牛馬童子像」の素晴らしさ
本当にありえません・・・。私が熊野を歩いたのは1年前のことで、歩いて歩いて、かなり疲れたあとにめぐりあったのが、この牛馬童子像です。
シンボルの割には、ずいぶん小さい石像だなぁなんて思いつつ、でも、すごく深い感じがして、とても思い入れのある石像でした。
【写真:石像の隣に立てられていた看板】
普通にバス観光で行っても、それなりの感動はあるかもしれませんが、歩きに歩いて、疲労の末に、やっとでめぐりあえた時の、感動は、まさに倍に倍するものがありました。
(最後の下り坂。坂本王子がなかなか出てこなくてきついんですよね・・・ →中辺路を歩いた経験者の皆さん)
世界遺産指定の対象が、「熊野」ではなく、あえて「熊野古道」と、「古道」が強調されているところは、あたかもそれを物語っているかのようです。
これはきっと人生全般についても言えることで、努力なき感動は、見る人が見れば陳腐なものでしかない、ということなのでしょうね。
【写真:「牛馬童子像」を過ぎて、しばらく歩くと出てくる光景。熊野は最高!】
思い入れがあるだけに、本当に辛いニュースでした・・・。
熊野古道のような、偉大なエンターテインメント空間、そうそうないものです。
(その辺の遊園地よりも、よっぽど感動できる場所です)
早く修復され、再び多くの人たちを感動させる姿を取り戻してほしいものです。
本当にありえない・・・。
【後日追記】「牛馬童子像」の頭部損壊と修復の歴史
後日の追記です。
その後2008年10月には、同じ地元産の砂岩を使って頭部のレプリカが作成され、胴体に取り付けられました。しかし2010年8月、田辺市鮎川のバス停ベンチで、切断された頭部が見つかります。
田辺市教育委員会の検討の結果、すでに取り付けられたレプリカをきれいに外すことは技術的に困難だとして、レプリカが設置されたままに。
ところが2013年2月25日にも、「牛馬童子」の石像の頭部が外れた状態で見つかるという事件が発生します。これについて、犯人はなんと「急激な冷え込みなどの自然現象」だったと結論付けられたようです。田辺市教育委員会による調査の詳細については、こちらをどうぞ。
また、2014年5月にも同様にして、自然現象による破損が起きているそうです。
【参考】熊野古道に関連するブログ記事
昨年、32歳の時に、熊野古道の中辺路エリアを1週間近くかけて夫婦で歩きました。
以下、旅の記録です。お時間ございましたら、ぜひどうぞ。