今年に入っても、経済は依然として暗い話ばかりです。構造的な厳しい不況のなかで、その脱却がなかなかはかれていません。しかしそれでも企業はより効果的に対応していかなくてはならないわけですし、倒産する会社がある一方で、増益の会社や、元気いっぱいの会社もあるわけです。
そこで今回のメルマガ 「Samsul’s Choice」では、現在の経済状況に対し、企業はどう立ち向かおうとしているのか、「各企業の年頭挨拶を見てみると……」と題して、各企業トップの年始挨拶を分析していく予定でいました。
しかし、新年早々気がかりでならない話題が出てきたので、年頭挨拶の分析は次号のコラムで取り扱おうと思います。(掲載する旨お知らせ申し上げたベンチャー企業、数社の社長様、どうかお許しを)新年早々、気がかりでならない話。それはインドネシアの話です。
新年早々、私にとって気がかりでならないのは、インドネシアの行方です。通貨不安と政治不安とが重なって、不穏な動きすら見せています。通貨下落による物価上昇と、それに便乗した不当な値上げなどで、庶民層の経済状況も圧迫されているようです。
通貨下落も行き着くところまで行ってしまったという感じですね。1ドル、1万ルピアにまで下落しました。ということは、1円が75ルピアぐらい、ということになります。私が幼少の頃は、1円が4ルピアだったのですが……。
2年前、1ドルが80円という超円高を迎えた頃、私はバリにいたのですが、そのとき1円が25ルピアという表示板を見て「うっひょぉ、これはただごとではないな」と感じたのを今でも覚えています。両替商のおばさんに「えっ、25ルピアまで行っちゃったんですか?」と言ったら「そうなのよぉ」と言っていたんですよ。それが今では60から70ルピアを示しています。
スハルト大統領による開発独裁に正当性を与えていた、ほとんど唯一の根拠は「順調な経済成長」ということでした。これがこければ暴動、いやクーデターの危険すらあります。過度に悲観的になって言っているのではありません。現に小規模のデモや暴動は既に発生していますよね。
考えてみると、インドネシアが安定をしてきたのは、ほんの最近(ここ十数年)のことなんですよね。私の母によると、スハルト政権発足時には、川で死体が流れてくるのを見たと言っていますし、暴動があれば、家に石が飛んできたと言います。家族で車に乗っていたら、襲撃されそうになって、運転手さんがあわてて猛スピードを出して切り抜けたそうですし、隣家のオランダ人一家は、暴動のあるたびに石を投げられ「オランダに帰れ!!」という怒号をあび、数年後、一家そろって本当にオランダへ帰ってしまったそうです。
私の大学には、インドネシアを専門とする村井吉敬先生がいらっしゃいます。先生は先日「昨年はアジア経済危機と、年初にはほとんどだれも予想しない事態が起きました。今年、インドネシアは3月に大統領選挙があります。これも予想もしない事態が起きるかもしれません」とおっしゃっていました。
インドネシアは約200の民族と300の言語が存在する多民族国家です。
それが「多様性の中の統一」というスローガンのもと、スハルト大統領を中心として比較的安定していたわけです。数ある多民族国家の中では、安定を創り出すことに最も成功してきた国であると言っても良いのではないでしょうか。そしてそれを支えていたのが、経済成長という成果の存在でした。国が発展するためには、庶民は我慢しなくてはならない、と言われれば、現実に飛躍的な発展が進行している以上、我慢しなくてはならなかったわけです。
しかしその発展にも、大きなかげりが見えてきました。発展のためには我慢しろ、と言われても、我慢できないことも出てきます。そういうことからすると、インドネシアはこれから新しく不安定な社会に入っていく、と見るよりは、「もともとの」不安定な社会に戻っていくと見るこ ともできるのではないかと思います。ただ教育と経済のレベルがはるかに上昇していると思うので、それがどのような歯止めとして働くか、というところに期待がもてるかもしれません。
3月の大統領選挙に向けて、これからインドネシアはどのように動いていくのでしょうか。そしてアジアの国々は?
私の気がかりが、単なる杞憂であればいいのですが……。