私の家には、テレビがありません。もう相当までに長い間、テレビの無い環境で生活しています。
テレビを置いていないのは、テレビ嫌いだからではありません。本来、私はテレビが大好きです。つまらない番組であっても、ついつい見てしまう程です。でも、テレビは置いてありません。
テレビのない生活を考える
そもそもは、たまたま起業したばかりで、テレビを買うほどのお金がなかったからなのですが(笑)、この生活がとても快適なので、そのまま続けています。
テレビが無いことで、いろいろと思うことがありました。経験の量も増えました。ありがたいと思います。だから総合的に快適なので、テレビの無い生活のままなのです。
テレビはどの家庭にもありふれた存在ですが、テレビに限らず、「始めからあたりまえのように存在する」というものは、人の感覚をマヒさせてしまうところがあるように思います。
当たり前の環境に慣れることで、そのありがたみがわからなくなるのです。テレビの無い環境にいて、はじめて、テレビの意味に思いをはせることにもなります。テレビのある幸せ、テレビの無い幸せ、それぞれに想いを致すことになります。
電話のない生活を考える
たとえば電話にしてもそうです。
以前、インドネシアのバリ島で、私は電話の無いアパートに住んでいた経験があります。
携帯電話が普及していない環境の時代です。
もちろん、インターネットもありません。
アパートの1階にある受付フロアには、受信専用の電話だけはありました。でも、発信することのできない電話です。
この時も、電話のある幸せを考えることができました。電話の無い幸せについてもそうです。
(なにしろ、携帯電話もなく、一番近くの公衆電話に行くまで、徒歩20分以上もかかるような環境だったのです・・・。楽しかったです)
あえて「非日常」を経験してみることが学びになる!!
失って初めてわかるものがあります。意図的に、そういう環境に身を置いてみることで、意外な発見があるものです。
当たり前のように要求していた自分が恥ずかしくなることもあるでしょう。
もらって当然のように思っていたのに、それを与えるには、途方もない努力が必要だったことを知って、自らの傲慢さに、初めて気づくというようなことも、もちろん出てくるでしょう。
そんなこと、知る必要はないのかもしれません。でも、世の中というものが、本来は、ありがたすぎることだらけで構成されているということ。
このことに気づいているかどうかで、生きるスタンスも、感動する心も、人との接し方も、いろいろな密度が大きくかわってくるように思うのです。
与えてくださっていることの感謝を考える
「もらって当然、受けとって当たり前、味わってしかるべき」。
そういうマインドは、自分を小さくします。
あらゆるものであふれかえる世の中。あたりまえの背景に思いを致すことによって、「あたりまえのモノ、コト」に感謝をする。
一度そのような環境に身を置くことで、自らすでに与えられている幸せな環境に気づくこと。こうしたことが、人生を切り開く新しい力を生み出してくれるに違いありません。
■参考:このテーマに関連するブログ記事です。こちらも、どうぞ。
このコラムは、2007年11月22日に配信したメールマガジンを転載したものです。
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2007年12月21日 渡邉 裕晃
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