どことなくミステリアスな美しい写真。どこの国で撮影されたものだか、わかりますか?
これは東京の首都高の下を流れる川で撮影されたもの。私の知人であるフィンランドのカメラマン、ペトリ・アルットゥリ・アシカイネンさん(Petri Artturi Asikainen)の作品。
一般的に首都高の下の川というと、「汚い」というイメージがあるのではないでしょうか? しかも、その川の水面近くから上を見上げるなんて機会もなかなかあるものではありません。
彼は午後4時頃に、カヤックに乗ってこれを撮影したそうですが、汚いイメージの場所であっても、視点が変わると、こんなに美しい作品になることもあるのかと驚きました。同じ場所であっても、見る場所を変えてみると、都市がまた違って見えてきますね。
【写真:午後4時の東京、首都高下から映しだされた不思議な景色】
Petri Artturi Asikainen (http://artturi.com)
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今日、ツイッターで、こんな投稿を見つけました。
外国に行くのと同じぐらい、外国からきた人と東京を歩くのは面白い。なんや、今まで毎日目隠ししながら暮らしてきたんかなと思うぐらい、発見が多い
— mayomayo (@mayotanranran) 2015, 11月 3
なるほどなぁと思いました。まさにこのアシカイネンさんの首都高の写真が、それを物語っているなと。
住み慣れた街、通い慣れた学校、会社のある場所だったり、仕事に関係してよく訪問したエリア。私たちは、すでに知っているつもりになっていますが、視点を変えてみると、まったく違った場所に見えてくる・・・。
そういう可能性をきちんとふまえて生きることができるかどうか。これは大きな違いになってくるはずです。
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私はいまインドネシアに住んでいますが、
かつて東京にいた頃、新宿に住んでいた時期があります。
先ほど紹介したツイートにあるように、
「外国からきた人と東京を歩く」という経験がありますが、
「早朝に、新宿から築地まで歩いてみよう!」
そんな試みをしたことがあります。
新宿は住んでいる場所だし、
築地は何度も行ったことがある・・・。
でも、早朝の時間帯で、
しかも新宿から築地までをずっと徒歩で移動すること。
これだけでも、いつもと違う街の風景が見られて驚いたことがあります。
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何が言いたいかというと、
これほど身近な環境であっても、
視点を変え、時間を変え、見方を変えてみると、
同じ場所が、また違って見えてくる。
今までに発見できなかったような魅力に
出会えることもあるということ。
だから、どこに行くにも、
またどんな人に会うにも、
一度見ただけで、また一度会っただけで、
イメージを固めてしまってはいけないと私は思うのです。
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これからの時代、
国境をまたいだ移動の機会は増え、
異なる言語を母語とする人たちとの交流も増えていきます。
そうしたなかで、
一つの観点からだけで判断したり、
固定観念をもつことは危険。
意外な魅力を見逃してしまうことにもなりかねません。
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仕事の現場でも、「上司や部下の真意が見えない」とか、
家庭でも「うちの子供、何を考えているかわからないのよ」とか、
よく耳にしますよね。
苦手だと思っていた人でも、一度、食事をともにしてみると、
別の新たな視点から意外な側面が見えて、
急に親近感を覚えてしまう・・・なんてこともあるでしょう。
「自分を知ることは難しい」という表現をすることがありますが、
だいたい自分一人を理解するのだって難しいのに、
他人を理解し尽くすのはなおさら困難。
それは、すでに知っていると思い込んでいる街の風景だって、
同じことが言えると思うのです。
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人を見る時も、街を見る時も、
そして世界を見る時も。
自分が思っているイメージは、実際とはズレているかもしれない。
まだとらえきれていない魅力が、そこにあるかもしれないということ。
いつも多様な視点を確保することを大事にする。
これからのグローバリズムの時代、
ネットを介したコミュニケーションが多い時代にあって、
相互理解を促進するためには、
忘れてはならないスタンスです。
知っていると思っている場所や、
知っていると思っている事柄であっても、
何度でも見に行って、
何度でも自分で考えて、
何度でも感じとろうと努めること。
このアシカイネンさんの首都高の写真もまた、
多くのことを語ってくれているように思います。
■追伸:
ちなみに私がfacebookで使っているプロフィール写真は、ペトリさんに撮影していただいたものです。
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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