すでに言い古された言葉で、おそらく誰もが「当たり前だよ」と言い放つはずのこと。それは、「人生は有限だ」ということです。
きっとあなたは「なんだ、そんなことか・・・」と思ったはず。
あるいはこのブログを閉じて、別のサイトに飛ぼうとしたに違いありません。
でも私自身、3年前に「インドネシアで暮らす!」という選択をして実際に実行に移し、現在では、妻そして2人の子供と一緒にインドネシアで暮らしているという現実。振り返って改めて思いますが、私には次のような自負があります。
それは、「有限な貴重な人生の一時期を、精一杯かつ最大限に活用することができた。この時期に、インドネシアで家族と暮らすことで、大いに得るものがあった」ということ。これは偽らざる正直な感想です。
先日、この思いをツイッターで書いてみたところ、意外と反応があったので、改めてブログにもまとめてみることにしました。
【画像:「学校ではレッスンしてからテスト。でも人生は、テスト(試練)が与えられ、それを通じてレッスン(教訓)を得ることになる」】
photo credit: Tom Bodett The difference between school and life. In school, you’re taught a lesson and then given a test. In life, you’re given a test that teaches you a lesson via photopin (license)
目次
人生の残り時間は有限。やりたいと思ったが吉日!
ツイッターに書いたのは、次の通り。
人生の残り時間は有限。しかも、若い時にしかできないこともあるし、歳をとってから初めてできることもある。だからこそ、やりたいと思い立ったが吉日。やりたいことがあれば、すぐにどんどんやるべき、しかも欲張るくらいに。行動からしか未来は開かれない。だからこそ、余計に何でもチャレンジを。
— 渡邉 裕晃 (インドネシア東ジャワ在住) (@_samsul) 2016年3月16日
「家族でインドネシアで暮らす」という選択をして、そして実際に実行に移すということ。
冷静に考えれば、そんなことをやってしまうという人は少ないのかもしれません。
でも、「やって本当によかった」というのが私の正直な感想です。
やってみなければわからないのが人生。ならば、やってみよう!
よく「定年を迎えたら、●●でもやろうかと・・・」という表現に出会います。
でも、定年になってから始めるのと、定年前からすでに始めているのとでは、全然違うんですよね。
何事もそうですが、「やってみなければわからない」ということはたくさんあって、「やってみる」ということを通じて、初めて次の世界が見えてくるわけです。
「学校ではレッスンしてからテスト。でも人生は、テスト(試練)が与えられ、それを通じてレッスン(教訓)を得る」
冒頭で紹介したこの画像には、そう書いてあります。
だからこそ、何事も早く始めるべき。
たくさん失敗を経験して、それを活かして次の世界に進む努力をすべき。20歳で次の世界を知るのと、65歳でやっと次の世界が見えるのとでは、全く違ってきます。
人生では「その時にしかできないこと」がたくさん!
さらには・・・、これは意外な盲点だと思いますが、人生の中では「その時にしかできないこと」というのもたくさんあります。
同じことであっても、
10歳で初めて経験するのと、
20歳で初めて経験するのと、
30歳で初めて経験するのと、
40歳で初めて経験するのと、
そこで受け取るであろう体験は、全然違いますよね。
特に「子育て」を経験された方なら、きっとわかると思います。
「あの時は、あの時しかできなかったな」と。
「あの時は、もう今ではできないのだな」と。
「やりたい!」と思えた時こそ人生のベストタイミング!
だからこそ、私は思うのです。
やりたいと思い立ったが吉日だと。
「やりたいと思えた」ということは、実に素晴らしいタイミングなのだと私は思います。
だって、次につながるための「経験」が、いち早く積めるのですから。
「やりたい」と思うだけで、実行しないというのは問題ですが、でも、「やりたい」と思えなければ、行動すらもできません。やりたいことがあれば、すぐにどんどんやるべき、しかも欲張るくらいに。
私の祖母は、ことあるごとに言いました。
私のおばあちゃんは、いつも言っていたのよ。もし何か習いたいことがあったら、何でも習って覚えなさいって。泥棒以外だったら何でも習いなさいって。習って損することは何もないのよ。 |
と。
□ □ □
いわゆる「成功者」を見ていると、共通して言えるのは、「思い立ったらすぐにやる!」ということ。
行動を通じてしか、未来は開かれないのです。
失敗という経験は、成功を得るための前払費用みたいなもの。
はじめて自転車に乗って、何度も転んで、足から血が出る経験を何度もしないことには、自転車に乗って颯爽とかけぬける喜びを知ることはできないのです。
だからこそ、余計に「何でもチャレンジ」を、と言いたいです。
□ □ □
冒頭に書いた通り、私は「家族と一緒にインドネシアで暮らす」という決断をして、そして実際に実行をしました。
大変なこともたくさんあるし、
決断を要することもたくさんあるし、
危うい綱渡りのような思いも、たくさん経験しました。
(というような気がします)
でも、振り返って考えてみると、「これをやらなかったら、ものすごく後悔していたはず!」ということがわかるくらいには、視野は広がっているのです。やらずにいたら、今の素晴らしい世界を知ることはなかったでしょう。
□ □ □
人生の残り時間は有限で、毎秒、毎秒がカウントされている中、私たちは確実に「死」に向かって突き進んでいます。
「行動」を通じて未来が開かれる。
その「行動」は、もちろん第三者による「環境」の影響もあるでしょうが、自ら下す「選択」という決断も、大きく作用しているはず。
チャレンジすべきかどうか迷った時、
「迷ったから、やめておく」のと、
「えいやっ」と実行するのとでは、次の世界は変わります。
何でもとりあえず「考えずにやれ!」と言いたいのではありません。
でも、やらずに何かを得ることもできないのです。
□ □ □
「人生は有限」ということ。
だからこそ「今できることは、今やっておく!」ということが大事。
私はそう思います。
「やる」というこを通じて、はじめて得られる「新たな視野」があるわけです。
「まだ早い」とか「もう遅い」とか、
そういう一般観念に縛られる人生を選ぶのか。
「やるぞ!」と決めて、徹底的にやってみて、
失敗という傷をたくさん経験し、
経験値を積んでレベルアップしながら、次に向かって強くなっていくのか。
それもまた、「選択」の問題なんですよね。
□ □ □
有限な人生は、チャレンジしてこその人生。
転ぶのが怖くて自転車に乗り始めることができなければ、友だちや家族と一緒に颯爽とサイクリングする喜びは味わえません。
もちろん、誰もが味わうべきだとは言いません。
ただ、そういう世界が遠ざかりますよ、というだけのこと。
それもまた人生です。
この2年弱、家族と一緒にインドネシアで暮らしてみて、改めて思うのは、「この決断は正しかったし、ここから得た経験は実に貴重だった」ということ。だからこそ、これからも私はチャレンジを続けていきたいし、アグレッシブな「選択」を続けていきたいと思います。
□ □ □
「そんなに積極的な行動はできないよ・・・」
そう言う人もいるでしょう。
まぁ、そういう方は、このブログにアクセスしても、ここまで読み進めてはいないはず(笑)
でも、もしここまで読み進めることができたなら、積極的な行動ができるだけの予備軍としての素質を充分にもってるはず。
そういう方への私からのアドバイスは、
|
ということです。
□ □ □
騙されたと思って、ぜひやってみてください。
私もそういう姿勢の人たちから刺激を受けて今日に至ります。
これからもまた、そういう人に囲まれながら過ごしていきたい。
そう思っています。
このブログを読んで下さる読者の皆さんがそういう皆さんであれば、私の願いもかなうというもの。
繰り返しですが、人生は本当に有限で、「あと50年」と言っても「18250日」しかありません。「あと25年、今とまったく同じ元気さで生きられる」としても、それでも「9125日」しかないのです。
本当に、あっという間です。しかも、「今なら簡単にできること」であっても、もし大きな病気やけがをしたら、もうできなくなってしまうかもしれないのです。
だから、どんどんやるべき。「生き急ぐな」とか、「そんなに毎日を急がなくたって」と言われようが、私は毎日を精一杯に全力で生きていきたい。改めてそう思っています。
【参考】人生は有限だからチャレンジを!に関するブログ記事
このテーマに関連するブログ記事です。こちらも、どうぞ。
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