皆さんは、ご先祖様とのコミュニケーションを続けていますか?
なーんて言うと怪しく聞こえるかもしれませんが、
でも私は大切に考えています。
そこで今回は、すでに亡くなっている存在であるご先祖様とのコミュニケーション。それがなぜ大切なのか、ということについて書いてみたいと思います。
【写真:子供たちを連れてインドネシアの総祖父の家へ】
先日、ちょっとした節目となる達成感を感じる出来事があり、家族そろって、インドネシアの曽祖父母の家を訪問してきました。
(私は日本とインドネシアのハーフです)
この写真にある家は、曽祖父が約60年前に建てたもの。随所で「こだわり」の感じられる家で、それだけでも、曽祖父の意気込みや想いが実感できます。
すでに亡くなってはいますが、一つの節目を迎えるにあたり、家族そろって挨拶に行きたくなったのです。
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あるアメリカのジャーナリストは、曽祖父を評して「インドネシアの経営史の中で記録されてしかるべき人物だ」と。
そのように評価してくださることは、子孫の一人として、実にありがたいもの。
でも、仮にそうでないとしても、私にとっては偉大な曽祖父です。今の私があるのは、ひとえに、この曽祖父の恩恵が大きいです。
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「曽祖父」ですから、すでにだいぶ過去の人物。
私は、会ったこともないし、もちろん、肉声に触れたこともなく、話に聞くだけの存在。
でも血縁がある以上は、遺伝学的に見てご先祖様の何がしかを受け継いでいるはず。
そんな背景からすれば、自分は先祖からどんな才能を受け継いでいて、
(この「才能」にはプラスもあればマイナスもあるでしょう)
どんな恩返しをしなくてはいけないのか。
これは、折にふれて、考えさせられることです。
だから、何とかして、ご先祖様とのコミュニケーションができないかなと、そんなことを、私は折にふれて思うのです。
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すでに亡くなった存在。
そんな存在に対し、交信ができるのかどうか、
私にはわかりません。
でも、たとえこちらからの一方通行でもよくて、
先祖を想い、先祖と交流しようと思うところから、
自分の脳で考えることがあり、
また、心で思うことがあるわけです。
それをきっかけに、
新たな発見を得たり、新たな想いを感じたりするということは、
充分にありえることではないでしょうか。
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であるとするならば、
そして、そこから得られた発見なり想いなりをこれからの人生に対して活かしていくことができるならば・・・、
それは、たとえ一方通行であったにしても、「ご先祖様とのコミュニケーション」の一つと言っても良いのではないか。
私はそう思うのです。
なぜなら、先祖との対話を行おうと思うことによってはじめて得られた発見なり想いなりだったりするはずだからです。
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このインドネシアの曽祖父の家は、
私が2歳の頃から毎年のように訪問した場所で、
私にとってはパワースポットのような存在です。
子供たちにも、ぜひその片鱗を受け継がせたいと思っています。
ご先祖様とのコミュニケーション。
それは、いろいろなやり方あるはず。
大事なことは、「先祖との対話を行おうと思うこと」だと思います。
コミュニケーション不在の、単なる形式的な儀式を行うというのではなくて。
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ちょっとオカルトチックな話に聞こえるかもしれませんが、
ご先祖様の片鱗が、あなたを形作っているわけです。
であるならば、あなたと形作った存在である先祖と
交流を試みようとすることは、
自らを振り返ることを同じ意味を持つような気がします。
皆様、ぜひお試しください。
すぐに何かが起きるとは限りません。
何も起きないかもしれません。
でも、「先祖との対話を行おうと思うこと」。
そこから生まれる自らの変化に、
ぜひ注力してみて下さい。きっと新たな発見があるはずです。
【参考】自分のルーツを探る意味:関連ブログ記事
「自分のルーツを探る意味」に関連したブログ記事をまとめました。こちらも、どうぞ。
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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