「インドネシアでの葬儀」と聞いて、どんな様子をイメージしますか?
イスラム形式? 何か原始的な感じ・・・?
日本にとって「インドネシア」は遠い世界なのかもしれませんが、インドネシアは本当に多様な社会。「インドネシア=イスラム」みたいに、短絡的に決めつけることのできない複雑な様相を見せている社会なのです。
・・・と前置きが長くなっていますが、インドネシアのお葬式事情を詳しく知りたい方は、こちらをどうぞ。
今回は、インドネシアの祖母の葬儀に出席する機会があり、それについてご紹介したいと思います。
インドネシアの祖母の緊急入院、そして予想外の急逝
最後に書いた前回のブログはこちら。もう半月にも渡って、ブログを書かずにいました。
インドネシアに10日ほど行ってきて、その「旅ボケか?」と思われそうですが・・・、上記ブログにあるように、現地に住む祖母が緊急入院してのお見舞い。そして、予想外での急逝で滞在延長、葬儀への参加、という日々だったのです。
【写真:葬儀では私が遺影を持つ担当に(写真がボケていますが)】
いろいろな思いがあり、整理ができず、でもブログに残しておきたい(残さないといけない)という思いもあり。思いの整理が完成できずとも、まずは「とりあえず」でも書いておこうと、そういう思いから、以下、記しておきます。
インドネシア現地で、ツイッターとフェイスブックに発信した内容を抜粋します。
昨晩、インドネシアの祖母が亡くなりました。95歳と6ヶ月。緊急入院の知らせに急いで渡航準備。祖母の家は、バリ島で一泊してから別の国内線に乗らないと行けない場所。飛行場から病院に直行して対面。奇跡的に、なんとか三時間半だけ生きていてくれました。
— 渡邉 裕晃 (インドネシア東ジャワ在住) (@_samsul) 2011年6月16日
目は閉じて、話すこともできず、もはや意識の無い状態でしたが、死の直前、自ら急に目を開けて、にっこり微笑んでから亡くなりました。世代交代の重みと責任をものすごく実感しています。
— 渡邉 裕晃 (インドネシア東ジャワ在住) (@_samsul) 2011年6月16日
祖母が亡くなる前日にバリで見た月、そして死亡当日の月。いずれも、私の人生の中で、かつて見たことのないような大きさと力強さの満月で、不思議な輝きを放っていたのが印象的です。
— 渡邉 裕晃 (インドネシア東ジャワ在住) (@_samsul) 2011年6月16日
二日間ともに、見ていて驚くような不思議な満月。いま思えば、それはあたかも、えも言われぬような見送りの祝福、天からの招待状のようなものだったような気がしています。家路に帰り、納棺師の施しを受けて、いま応接間で安らかに眠っております。
— 渡邉 裕晃 (インドネシア東ジャワ在住) (@_samsul) 2011年6月16日
【写真:写真でうまく撮れませんでしたが巨大な月が出現(病室から見えた景色)】
インドネシアの祖母との想い出
私は2歳の時から、ほぼ毎年のように、インドネシアの祖母の家を訪れていました。
それぞれ約1週間超くらいの滞在で、また大学生の時代には1ヵ月半滞在していたこともあったので、おそらく合計で40週間くらいはお世話になったはず。
【写真:自宅で3日間ほど安置(中央にあるのが棺)】
一方で、祖父母も毎年のようにおよそ数週間ずつというスパンで、日本の我が家に泊まりに来てくれました。だから祖母との思い出となると、東京のデパートに行って、それこそ頻繁に、おもちゃを買ってもらえたこと(笑)。
□ □ □
私にとってインドネシアの影響は大きく、20年前にインドネシアの祖父が亡くなり、そして今回、祖母も亡くなり、世代が途切れた・・・という感覚。これにともない、やはり強く強烈に思うのは、世代交代の重みと責任感です。
私自身、家族と子供をもったということも、その思いに拍車をかけていると思います。
また今回、遺品を整理する中で、祖母の親、そしてまたその親・・・というように、写真を始めとする様々な資料、それはまさに、過去の連綿とした過去からの家族の系譜が、まざまざと見せつけられたからでもあります。
葬儀に向けて届けられたメッセージボードの数々
いろいろな思いがわきあがり、うまく整理できません・・・。これらは、葬儀に向けて届けられたメッセージボードです。一部をご紹介します。
【写真:左のPeter SondakhさんはRajawali Corpの代表。インドネシアの富豪ランキングの常連です】
【写真:左のSengaklingは曽祖父が副業で始めた遊園地。右のBentoelは曽祖父が創業した本業のたばこ会社】
【写真:自宅に届けられた花(メッセージ)の一部】
でも、今後に渡り、インドネシアとの関わりを強く形成しなければいけないというその責任感だけは、強く感じているつもりです。
(まだ具体的な形にはできていませんが)
土葬の前に、自宅で3日間ほど安置
祖母が亡くなり、病院から祖母の家に遺体を搬送。3日間ほど、家に安置して、昼と夜とに関わらず、親戚や親類などの来訪を受け・・・。
【写真:自宅リビング。皆さん、この部屋におこしくださいました】
その後、自宅での葬儀を経て、墓地へ搬送。土葬なので焼くことは無く、墓地での儀式を経て埋葬。そして祖母宅での遺品の整理・・・という日々でした。
遺品を整理する中で、祖母だけでなく、祖父、そして曾祖母にまで渡る遺品を発見。先ほどの「世代の継承責任」の話とも関連しますが、家族の系譜をたどる中で、これから自分が何を為していかなくてはいけないか、この問いは、私に対する強烈なメッセージとなりました。
というわけで、いまだに整理できません(笑)。
以上、取り急ぎ、インドネシア訪問の報告でした。
【写真:若き頃の祖父母。私の理想の夫婦像】
2011年6月30日 渡邉 裕晃
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