我が祖父、101年4ヶ月の大往生

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すでに2ヶ月ほど前の出来事になりますが、
私の祖父が亡くなりました。
1909年1月2日生まれ。
実に101年4ヶ月の大往生でした。
最後の最後まで、
それこそ、「大」に「大」がつく「大健康」で、
私は彼から本当に多くのことを学びました。
 
Petriさんが撮影した「東京の百年」(100歳・男性)の写真
【写真:フィンランドのカメラマンPetriさんとの不思議なご縁で撮影に至った100歳6ヶ月頃の写真】


 
 
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1909年というのは明治にすると42年。
板チョコが発明された年であり、
また、山手線が開通した年。
祖父の名前は勝太郎。
1904年の日露戦争の戦勝を記念して
付けられた名前です。
 
 
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お通夜は、参加する親戚たち、誰もが泣かない感動的なイベントでした。
我が祖父101歳4ヶ月での大往生。
 
Petriさんが撮影した「東京の百年」(100歳・男性)の写真
【写真:フィンランドのカメラマンPetriさんとの不思議なご縁で撮影に至った100歳の頃の写真】
 
最後まで苦しまず、超健康的で、
まったくボケることもなく。
祖父には7人の子供がいて、
それぞれに孫がいて、その先にまた曾孫がいて・・・。
親族だけの集まりなのに人数多過ぎ(笑)。
少子化だったり、大家族が忌避される社会情勢にあって、
やはり「大家族」というものは、幸せの根源なのだなぁと、
再確認することができました。
 
 
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本人は昔から、
それこそ70代の頃から「100まで元気に生きる!」と宣言していました。
私は「なんて無理なことを・・・」と思っていましたが、
70台でも平気でテニスをしたり、十数キロをウォーキングしたり、
80台でも相変わらず平気で十数キロウォーキングを重ねた祖父。
 
Petriさんが撮影した「東京の百年」(100歳・男性)の写真
 
Petriさんが撮影した「東京の百年」(100歳・男性)の写真
【写真:フィンランドのカメラマンPetriさんとの不思議なご縁で撮影に至った100歳の頃の写真】
 
90台になってようやく、
「最近、だんだん足が痛くなってきたけど、
 年を取るってこういうことなのかね? 今までこんなこと無かったんだけど」
などと言い出したくらい。
カラオケ大会にも出場を重ね、
101歳になるまで、毎日サウナに通い・・・。
終末期には病院のお世話になりましたが、
入院するまでは、毎日数キロのウォーキングを欠かすことがありませんでした。
(横断歩道を渡るとき、信号が点滅すると、101歳でも平気で走っていました)
 
 
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ただ、「100まで元気に生きる!」と宣言していただけに、
私の心配は、「それって、100歳で終わりにするということか?」
ということでした。
言葉や思いは現実化すると言いますからね・・・。
ただ101歳に突入しても健康そのもので、
毎日のように数キロのウォーキングをこなし、
サウナにも毎日通い、祖母の朝ご飯もつくったり。
さらに祖父は、
そんな年齢でも、ほとんど病気もせず、
病院とは無縁の人生でした。
 
 
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「お通夜は誰もが泣かない感動的なイベントだった」と書きましたが、
101歳になっても、体のどこも痛まず、医者の世話にならずという状況。
街を歩き回り、サウナに入り、カラオケを楽しみ・・・。
どう考えても、きっと大満足だったのではないかと思うような
見事な大往生だったのです。
しかも、終末期に入院してからも、
最後の最後まで、まったくボケることなく、脳は実に立派に機能していました。
終末期、私が子供たちを連れて病院に行った時も、
「ひょっとしてボケ始めているかな・・・」と思いながら子供を見せると、
「おぉ、よく来たね」と言い、
「最近、●●に行ったり、●●に行ったりしていると聞いているけど、
 寒くなったりしているから、2人の子供たちには、風邪をひかせないようにね・・・」と
言ってくれたほどでした。
 
 
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私の娘が生まれた時、彼は99歳でした。
娘の誕生を伝えると、「ぜひ会いたい!」と、
祖父は電車に乗って、病院まで駆けつけてくれました。
そして、99歳の老体でもって、
娘を抱きかかえました。

(参考:過去ブログ記事)
 
■2008年1月22日
我が娘、99歳年上の曽祖父に抱っこされる
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満面の笑みを浮かべる祖父(理心の曽祖父)。孝行冥利に尽きます
【写真:満面の笑みを浮かべる祖父(理心の曽祖父)。孝行冥利に尽きます】
娘の生後数ヶ月、つまかり立ちを始めた頃も、
祖父は元気にしていました。
娘と祖父。99年の歴史を超えて、時を共有する不思議
【写真:娘と祖父。99年の歴史を超えて、時を共有する不思議】
 
 
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私の息子が生まれた時、彼は100歳でした。
息子の誕生を伝えると、「ぜひ会いたい!」と、
祖父は電車に乗って、病院まで駆けつけてくれました。
そして、100歳の老体でもって、
息子を抱きかかえました。
(参考:過去ブログ記事)
 
■2009年1月17日
我が息子、100歳年上の曽祖父に抱っこされる
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2人目の子供が誕生して、 病院には、いろいろな方がお祝いに駆けつけて下さいました。 そんな中、 入院最終日になって、突然訪れてくれ...

嬉しそうに息子を抱きかかえる祖父(息子の曽祖父)。孝行冥利に尽きます
【写真:嬉しそうに息子を抱きかかえる祖父(息子の曽祖父)。孝行冥利に尽きます
 
 
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私自身、
祖父母には、散々おいしいものを食べに連れていったり、
旅行に連れて行ったりすることができたので、
「悔いなし」という感じです。
ちなみに京都旅行にも連れて行きましたが、
京都の名物、えびすやの人力車に乗った最高齢記録は彼です。
ところが彼は、
「100歳まで生きる!」という宣言通り、
はからずも、101歳に入ってから本格的なガタがきます。
「100歳まで生きる!」という宣言は、
「100歳の最後の日までを、フルフルに健康に生きる!」という宣言であり、
逆を言えば、結果的には、
101歳の誕生日を過ぎたらもういいということでもあったのです。
 
 
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100歳の最後の日まで、健康そのものであった祖父は、
101歳に入ってから急に体調を崩します。
死期を悟ったのでしょう。
彼は、101歳の誕生日を迎える日を指定して、
親戚全員招集でのパーティー開催を指示するものの、
その日まで体調が持ちませんでした。
(これは、明らかに彼が死期を自ら自覚していた証拠でした)
病院からは、何度も「そろそろですよ・・・」と告知があったので、
みんなも、おおむね悲しまずに「大往生おめでとう!」と、
感謝の念、そのもので送り出している感じでした。
 
 
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実際、私は、病院で、そして葬儀場で面会し、
祖父からたくさんのメッセージをもらいました。
「死体は語る」。
これは真実です(本当ですよ!)。
ありがたき、ありがたき・・・。
なんだか、永続的な力強いパワーを授かった感触です。
不思議。
そして、健康そのものであった祖父らしく、
葬儀場では「こんなに立派な骨はありえない」と言われるくらいの
大往生だったのです。
 
 
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私自身、すでに2人の子供を預かる身分ではありますが、
今回の祖父の大往生に立ち会って、
改めて、大家族を営むことの素晴らしさを教えてくれた思いです。
子供や孫のためにも、
健康である必要があるし、
それは体だけでなく、脳についても健康でなければならないということ。
101歳・・・。これほど年齢になれば、
子供や孫に何かをしてやるというのはどうでもよくて、
ただただ、「存在する」ということだけでも、愛情表現になるのだということを
学びました。
「存在の愛」とでも言うべきもの。
ただただ存在するだけでも、充分な愛の発露になるのです。
 
 
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私自身は、
101歳まで生きながらえる自信は、
今のところありません。
でも、体も脳も健康なままで100歳を迎えることの奇跡。
そして、「存在の愛」でもって、大家族を牽引することの素晴らしさ。
その尊さを、最後の最後で教えてくれた思いでいっぱいです。
 
 
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これからの孫、曾孫。
そのために何ができるのか。
彼らから尊敬される存在になるにはどうすべきか。
生きる原点というものも見つめる機会にもなりました。
ただただ正直にまっすぐ生きる。それに尽きるのだと思いました。
(この点、私は不思議な程に、ストンと落ちました。
 もし、何かの策を弄して短期利益を得ようとする人たちを見つけたら、
 きっと私は、ただただ可哀相に思うだけの心境になるでしょう。
 ここの感覚は、「次の扉を開いちゃった」という感じです。不思議ですが)
そして、感謝。もうそれしかありません。
 
 

(参考:samsul.comブログから)
 
■2013年2月6日up
 写真集「100 YEARS IN TOKYO(0才から100才までの東京人)」が完成へ


(参考:過去ブログ記事)
 
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我が娘、99歳年上の曽祖父に抱っこされる
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「100歳の長寿達成」福田康夫元首相と石原慎太郎都知事からのお祝い
以前のブログにも書いたことですが、 私の祖父は、来年の1月で100歳になります。 70代に入ってからも、テニスを続け、 80代に入...
■2010年4月17日
フィンランドのカメラマン、Petriさんとのお食事
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先日、フィンランドのカメラマン、 ペトリ・アルットゥリ・アシカイネンさん(Petri Artturi Asikainen)と お食事をす...

 
 
 
 2010年7月4日             渡邉 裕晃
 
 
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