インドネシアで子育てを続ける日々。今日は我が息子の誕生日。7歳になりました。
息子がインドネシアで生活を始めたのは5歳のこと。今月で1年5ヶ月目を迎えます。インドネシアのさわやかな朝、息子は朝の5時頃に起きると、すぐにお手伝いさんのところに向かいました。お手伝いさんの名前を呼んでから、インドネシア語で、こう表現していました。
大きな声で、ゆっくりと、
「Hari ini, hari ulang tahun aku….」
(今日は、僕の誕生日だよ・・・)と。
【写真:小学校の先生が撮影してくれた、学校でのヒトコマ】
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1年5ヶ月というのは、本当にあっという間です。一般的に海外に駐在する家族の任期は2年とされていますが、もし私が一般サラリーマンとしてインドネシアに赴任していたとしたら、えー、あと7ヶ月で終わり! 信じられません・・・。
初めて赴任する海外に渡り、そこで、わずか2年で何がしかの結果を出すというのは相当までに至難の業であるような気がします。特に「子育て」の観点からすると、2年でできることは限られています。
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私は純粋な日本人というわけではなく、日本とインドネシアの両方の血を引いています。だから子供たちにも、日本とインドネシアの両方の刺激を与えたいと思っていました。
「旅行先としてのインドネシア」という環境を与えるのは簡単ですが、「生活場所としてのインドネシア」という環境も与えたいと。
滞在スタートしてから、1年5ヶ月。
インドネシアでの子育ても1年5ヶ月。
今回、息子の誕生日を迎え、なんというべきか、親としては実に感慨深いです。
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最初は現地の幼稚園に入り、今では小学校の1年生。インドネシア語の全くできない状況で、でも、そんなことにへこたれることなく、学校生活を満喫していました。
インドネシア語の家庭教師もつけて、学校の先生にも恵まれて、先生と相談しながら、特別に補習授業もしてもらったりして。
息子のインドネシア語能力は、少しずつ伸びながら、でも一進一退・・・。でも、2ヶ月くらい前から、急速に飛躍しました。いわゆる「成長曲線」が飛躍した瞬間です。
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以前にもブログに書いていますが、私は、「子供は親の所有物ではなくて、お預かりもの」「親は子供の成長の伴走者であるべき」という考えを持っています。この1年5ヶ月は、大切にお預かりした息子を、よりよく成長させるべく、伴走者として尽力した1年5ヶ月でした。
最初は苦手だったインドネシア料理も、今では、大好物がいくつも誕生。「インドネシア料理がたまらなく大好き!」な私としては、本当に嬉しいです・・・。
毎日、自然に囲まれた生活を満喫し、昨年秋には、ブロモマラソン10キロの部を完走しました。東ジャワの高原で行う「トレイルラン&ウォーキング」は、彼にとって大事な趣味の一つとなりました。
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今回7歳という誕生日の節目を迎え、今日は実に感慨深いです。
(たぶん日本で暮らし続けていたら、これほどの感慨は無かったはず)
まだまだ、子育て格闘中ですが、7歳の誕生日を迎えた息子の成長ぶりを見て、あたらめて、よりいっそうの努力を傾注したいと、心から思います。
今晩は、息子の誕生日祝いのホームパーティーです!
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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