以前のブログにも書いたことですが、
私の祖父は、来年の1月で100歳になります。
70代に入ってからも、テニスを続け、
80代に入ってからも、なお、
7キロ程度のウォーキングなら平気でこなしていた祖父。
99歳になる今でも、
毎日あっちこっちをウォーキングして、
(杖は使いません!)
サウナに行って、カラオケに行って、
もう、元気そのものです。
それこそ、日々を完全燃焼し続けています。
□ □ □
そんな祖父のもとを久しぶりに訪問してきました。
祖父に負けず劣らず?、
私とゼロ歳の娘2人は、ウォーキングで。
約9キロの道程を、2時間弱で。
(楽しかった!)
すると、家には、見慣れぬものが・・・。
【写真:福田康夫元首相からの表彰(左)と、石原慎太郎都知事からの贈り物(右)】
□ □ □
「敬老の日」に際して、
100歳を目前にした人たちに贈られたものなのだそうです。
時の総理と、時の都知事から。
当事者になってみないと感慨はわからないでしょうが、
でも、きっと嬉しいでしょうね・・・。
人生を全うした一区切りという思いがあるのではないでしょうか。
□ □ □
でも祖父は、これらをいただいた感謝はあるものの、
「だからといって何?」という感じ(笑)。
人生は100年で終わりではないですからね。
一方で、
「なかなかお迎えが来なくて、困っていて・・・」
そんな風に謙遜する祖父。
□ □ □
私自身、
今年になって初めて、「娘」をお預かりすることになったのですが、
そうして痛感させられたのは、
家族というものの存在、そしてその価値についてです。
【写真:娘と祖父。99年の歴史を超えて、時を共有する不思議】
「愛」には、いろいろあって、
「与える愛」とか、「奪う愛」(笑)とか、
本当にたくさんの種類の「愛」が存在するわけですが、
なかでも、
実に貴重で、かつ、
忘れられがちでありながらきわめて尊い「愛」に、
「存在の愛」というものがあることを、
改めて痛感させられました。
□ □ □
何かをしてあげるわけでもなく、
ただそこに存在するということだけでも発揮できる、
そういう愛が存在するということ。
それだけでも十分に愛を発露できる領域があるということです。
80年、90年という長い歴史を生ききって、
なおのこと、孫をいたわり、ひ孫にふれあう、そういう力。
これは「存在の愛」なのだと私は思います。
(だから、よく若い人で、
根拠も無く「私は長生きしないと思っているんです」と、
したり顔で話す人を見かけますが、
「馬鹿を言うんじゃありません!」と言いたくなります)
□ □ □
家族をもつことの意味って、
本当に深いものだなぁと、改めて痛感させられました。
時の首相から表彰され、
時の都知事からもお祝いを贈られて、
それに対して「感謝」はあるものの、
「だからといって何?」という感じをもつ。
首相や都知事の権威は、昔に比べるとだいぶ低くなりました。
でも、そういうことではなくて、
家族の重み、存在の愛の重みを思うなら、
為政者からの表彰なんか、そんなことは、どうでもよい。
もっと深い大事な価値があるから。
それも、たしかにそうかもしれないな・・・。
家族の重みを改めて実感させられた週末でした。
【写真:みんなそろって、約230歳(笑)】
(参考:過去ブログ記事) ■2008年01月22日 我が娘、99歳年上の曽祖父に抱っこされる 昨日は、娘が誕生して以後、初出社の日。
たくさんの方からお祝いメッセージをいただきました。
社員の何人かからも、
発表していないのに「おめで... ■2008年09月25日 娘の誕生から32週間(神社の縁日で遊ぶ+曽祖父母のもとへ) 8/29(金)で、わが娘、誕生から32週間が経過しました。 (今日は9/25なので、すでに27日も前になります… |
2008年10月19日 渡邉 裕晃
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