今日は、「インドネシア残留日本兵」の最後の生き残り、今年で95歳を迎える小野盛(おの・さかり)さんのお宅にお邪魔しました。インドネシア名は、ラフマット小野さんです。
前回初めてお目にかかったのは、今年の2月ことでした。ちょうど2ヶ月ぶりの再訪となります。わずか2ヶ月しかたっていない中で、また写真を撮るのもどうかと思い、今回は、撮影をしませんでした。
ちなみに、前回の様子はこちらです。
【写真:94歳とは思えない健康ぶりの小野盛さん】
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「インドネシアの残留日本兵とは?」
「小野盛さんは、どんな背景で?」
それらについては、前回のブログにまとめてありますので、ご関心のある方は、こちらをご覧ください。
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前回、小野盛さんにお会いした際は、最初から最後までずっと日本語で会話をしました。
でも、約70年もの長きにわたってインドネシアに住む小野盛さん。時々、日本語が思い出せなくなって、「うちの曾孫は・・・」と言うべきところを「うちのブユッは・・・」みたいになったり等は、よくあること。それでも、会話のほとんどは日本語でした。
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でも今日は、なぜか、ほとんどがインドネシア語でした。まさか、元日本兵である小野盛さんと、インドネシア語で会話することになろうとは・・・。
しかも小野盛さんのインドネシア語。とってもかわいらしいんですよ。味わいのある深みのある声で、でも、かわいい(笑)
うまく文章で再現できないのが残念ですが・・・、Youtubeで検索してみると、小野盛さんがインドネシア語でお話をされる映像がいくつか見つかるはずですよ。
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小野盛さんは、第2次大戦では日本兵として戦い、その後、インドネシア独立戦争ではインドネシア兵として戦い・・・。
2つの戦争に参加して、何度も命を落としそうになりながら、それでも今なお、大変お元気な「超人」です。まさに「仙人」ですね。
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小野盛さんは、会話の中で、日本語で「いやぁ、インドネシアは、まさにこれからですからなぁ」と嬉しそうでした。一方で、「日本は、これからどうなっていきますかねぇ」と心配そうでもありました。
ご自身の2つの戦争体験に基づいて、「これからの若い世代には、本当に頑張ってもらいたいんだよ」という熱いメッセージ。今日の会話を通じて、まさに小野盛さんの体全体から感じるとることができました。
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小野盛さんの期待に沿えるよう、日々をさらにさらに頑張っていきたいと思います。
贅沢を覚えるのではなく、未来にむかって戦っていこうとする、その心意気が大事なんだ、と。それが今日の小野盛さんのメッセージでした。
また、これからも小野盛さんのところに通いながら、継続的に教えを乞うことができたらと願っています。いずれまたブログに書き記していこうと思います。
小野盛さんについてを取り上げた歴史書としては、こちらがオススメです。
また、「残留日本兵」全体については、同じ著者のこちらを。
■このテーマに関連するブログ記事です。
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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