1945年8月17日は、インドネシアの独立記念日。インドネシアでは、独立記念日はとても重要な日です。
日本の場合、植民地化されたことがないという背景から「独立記念日」がありません。そのため「独立記念日」の意義をイメージしにくいところがありますが、インドネシアではとても大事な日です。
最近は減っていますが、昔は一戸建ての玄関の門に、大きく「1945」という数字を出す家が多くありました。門の左側に「19」を置いて、門の右側に「45」を置いて。
幼少期、独立記念日にインドネシアにいる時は、外を見ればいつも朝からお祭り騒ぎで、家の庭から、いろいろな装飾を施した車や人々を眺めるのが私はとても好きでした。
【写真:高さ132メートルを誇る独立記念塔】
これはジャカルタのガンビル駅の前にある「独立記念塔」(モナス)です。高さ132メートル。一番頂上にある「炎」は、なんと50キログラムの純金で作られています。
私が最後に登ったのは17年前。朝からたくさんの店で賑わっています。
【写真:独立記念塔モナスには、朝からたくさんの店で賑わっています】
■参考:独立記念塔モナスについては、こちら
日本の歴史の教科書には書いてありませんが、初代大統領であるスカルノの「独立宣言書」の草稿は、ジャカルタにある日本軍海軍少将、前田精(ただし)さんの邸宅で執筆されました。しかも西暦ではなく日本の皇紀で記されています。
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今年、ある日本語講師の集まりに参加した際、たまたま隣になった女性と会話をする機会がありました。
わずか5分の休み時間の会話だったのですが、いきなりインドネシアの話になり、「インドネシア独立宣言の場所を提供しまして・・・」とおっしゃるので、「ひょっとして前田さんですか?」と言ったら、「えっ?よくご存知ですね! わたくし、前田の縁戚の者でございます」と驚かれました。
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私のインドネシアの曽祖父も、インドネシア独立に際して表彰を受けているので、その話をしたら、また驚かれ、「お互いにインドネシアの独立に資するところがあったのですね・・・」と。
私の曽祖父は、あるアメリカのジャーナリストの記事によれば、独立戦争にあたって、前線兵士へのタバコの提供や、現金の提供、逃走犯の隠匿援助などをやっていて、それで十数年後に政府から表彰されたとのこと。
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オランダやイギリスや日本や、いろいろな目論見があって、インドネシアの独立は、多大な思惑と犠牲と運・不運が重層的に織りなしている出来事。
ひとことで、ああだ、こうだと言い表すことのできない、とても深い事象だと思います。
【写真:独立記念塔の土台部分】
インドネシアの人たちにとって、自らを誇りに思う大事な一日。それが今日の独立記念日です。
そんなインドネシアに対して、自分は何ができるだろうか?
この独立記念日を機に、改めて考え直してみたいと思います。
なお、インドネシアの独立ということで、インドネシア国歌をご紹介します。なかなか良い歌ですよ!
■追伸:
掲載した写真は、2013年11月に撮影したものです。
【参考】インドネシア独立記念日や独立に関するブログ記事
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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