老いの哲学|老化と無縁の若者こそ要注目!人生はもっと楽しくなる!

シェアしていただけると嬉しいです!

「老いの哲学」という言葉をご存知ですか? 人は年齢を重ねるにつれて老いていきます。後ろ向きでネガティブな問題にも聞こえますが、じっくり考えてみると、将来を明るくしてくれるポジティブなテーマでもあるのです。

「え? どういうこと?」と思われるかもしれません。そこで今回は、この「老いの哲学」を取り上げてみたいと思います。




2人の政治家の「老い」に、身近にふれてみて

老いの哲学

今年いくつかの新年会に参加しました。ある新年会にはゲストで首相経験者がいらっしゃっていました。また、別の新年会では、30人程度で経営者だけが集まる小さな会ではありましたが、次期首相の呼び声の高い方がいらっしゃいました。

おふたりの政治家を拝見していて、あたりまえのことですが、「人は老いるのだなぁ」と、しみじみと、そしてつくづくと思い知らされました。

おふたりともテレビで見た印象とは違い、歩く姿はゆっくりと足取りを確認するような調子。老眼鏡を通じて、視点をあわせるようにじろっと先を見つめる姿。本当に人は老いるものなのだなぁと深く感じるものがあり、ある意味でショックですらありました。

後者の方は私を見るなり「ずいぶん若い社長もいるもんだなぁ」などとおっしゃっていましたが(笑)。

ただ、お二方の名誉のために付言しておくと、そんな状況の中でも、目の輝きについては、かなりの鋭さと勢いが感じられ、これもまた私にとっては驚きでした。

「人は老いる」という現実

老いの哲学

人は老い、そして体力も後退していきます。

世の中には楽しいことがたくさんあるのだから、いつまでも健康で元気でいたいもの。それでこそたくさんの楽しみを享受できるというものです。肉体的にも精神的にも健康であることは、生きる楽しみを増幅させてくれます。

健康のありがたみは、病気になってはじめてわかるといいますが、健康はタダで手に入るものではありません。老人になっても健康で元気でいるためには、若い頃からの継続的な運動と、規則正しい食生活や生活習慣が大事になってくるのでしょう。

体力は、20代を頂点として、徐々に降下していくわけですから、そのためにも、若い頃からの「老いゆく自覚」というものが大事になってくるのではないかと思います。

老いとは無縁の若者こそ読むべき!石原慎太郎の「老いてこそ人生」

老いることに伴う肉体的な凋落や精神的な変化については、石原慎太郎さんの著書「老いてこそ人生」を読むと、非常によく伝わってきます。

老いてこそ人生 (幻冬舎文庫)

老いてこそ人生 (幻冬舎文庫)

石原 慎太郎
586円(10/11 17:32時点)
Amazonの情報を掲載しています

ご老人の方々を拝見していても、遠くの未来のようでなかなか実感としてわからないのですが、この本を読んで「人(自分)はこうして老いていくものなのか・・・」と、人間の老いゆく運命を実感のレベルで覚らされる思いがいたしました。

そういう意味で、老いとは無縁の若者にこそ読まれるべき本なのであって、単に老人を慰めるためだけの本ではないところに、この本の独特の魅力があるのだと思いました。

運動と食生活によって、体力の降下を遅めることが可能との調査結果

老いの哲学

20代を頂点として体力が衰えていくということは、すでに20代にして老いが始まっているわけですから、若いからといって老いの問題とは無縁だというわけではないでしょう。

しかし、運動と食生活によって、この体力の降下を遅めることが可能だとする調査結果があるそうです。

年齢と体力の関係をグラフ化したときに、下降の角度をゆるめるだけでなく、下降線自体をもちあげる効果(線をY方向にもちあげる効果)があるというのです。そしてこれは年齢に関係なく、例えば90歳から運動を始めたとしても、それなりの効果がきちんとあらわれるといいます。

もっとも、若い頃から始めた方が、寄与するプラス度合いが大きいので、若い頃からの方が、効果は高いようです。蓄積の力もはたらくようで、これは言わば、積立預金を複利で行う場合、若い頃から開始していた方が、複利の効果が非常に大きくあらわれるのと同様なのだと思います。

運動は、肉体に与えるだけでなく、ストレス解消や、頭脳活動の活発化など、精神面にも良い影響を与えるという副産物ももっています。子供に与える影響も大きいでしょう。

「老い」は、若い頃から接するべき課題

老いの哲学

現代の大方の御老人は、我々のような若い世代に比べると、「若い頃の運動量」が多い場合がほとんどだと思います。若い頃の鍛錬(結果的な運動量の多さ)にもとづいた老人が多いわけです。

これからは、「若い頃の鍛錬にもとづいた老人」が減り、不健康に加えて「医療技術だけに支えられた老人」が増えるという、新たな社会問題も出てくるかもしれません。

そういう意味では、「人生のなかで若い頃の時期の位置づけ」は、個人的な問題としてだけでなく、社会に与える影響という点でも、非常に大きな意味をもつと思います。

アルフォンス・デーケン教授の「死の準備教育」(death education)に並んで、こうした「老いの哲学」というものも、若い頃から接するようにしておくと、後々に役立つだろうことは間違いありません。

これらにあわせて運動や生活習慣というものも重要になるでしょう。重要であるのに緊急性がないので、ついついおろそかにされてしまうことなのかもしれません。

人は重要度が低いのに緊急性の高いものに取り組んでしまいがちですが、重要度が高いのに緊急性の低いものを時々ふりかえって行動に移す余力をもつことは、人生に潤いを与えてくれるものだと思います。

「悲しき老い」を「楽しいかな」と言える心境になること

老いの哲学

「あくまでも関係者の証言によれば」ですが、次期首相の呼び声の高いその方が「あと10年あれば、我々は天下をとれたよなぁ」という感慨を残されているようです。

いろいろな事情が背景にはあるはずですが、積極的な行動をお取りにならないたくさんの要因の中の一つには、「老い」というものが少なからず存在しているような気がしました。今の状況で、あと10年若かったら・・・ということです。

老いゆく運命。その段階、段階に応じて、できること、すべきことが変化していく。悲しいかな、そういう老いを構えて生きていくことは、実は「楽しいかな」と言える心境になることが、ひとつの悟りであり、人生をより楽しくしていくものでもあるのでしょう。

自分はどのように老いていきたいか。そのために若い時間をどう楽しみどう節するべきか、これは後ろ向きの問題でもなければ暗い内容でもないはずです。こうしたことを考え、行動をすることは、人生の楽しみを増やすことにつながるものだと、私は思います。

『オンリー・イエスタディ』レビュー|石原慎太郎と強く激しく生きた男たちの物語
『オンリー・イエスタディ』 (石原 慎太郎 著、幻冬舎(2008年1月25日発行)  → アマゾンで購入する!   ■簡単な内...
スポンサーリンク

あわせて読みたい関連記事










シェアしていただけると嬉しいです!

フォローする