今日8月17日はインドネシアの独立記念日です。
第2次大戦が終結しても日本への帰還を拒み、そのままインドネシアに住み着いた「残留日本兵」の数は約2,000人。対オランダ独立戦争に参加されるわけですが、約1,000人が命を落としたと言われます。
そんな「残留元日本兵」の最後の生き残りが小野盛(さかり)さんです。私のインドネシアの住まいとご近所だったので、2〜3回ほど、お目にかかりました。
その時の思い出とともに、小野盛さんからメッセージを考えてみたいと思います。
目次
インドネシア残留日本兵、小野盛さんが大事にし続けた「闘争精神」
【写真:94歳とは思えない程、たくさんの話を聞かせてくれた小野盛さんと】
かつて私はインドネシアの東ジャワに住んでいて、小野盛さんのお住まいから近い距離にありました。
小野盛さんは、私に語ってくれました。
小野盛さんは日本語を忘れがちで、会話でも頻繁にインドネシア語が登場するのですが、メンタル・ブルジュアガンとは「闘争精神」のこと。
日本語を思い出せないことに苦渋の表情をされながら、「渡邉さんは、メンタル・ブルジュアガン、わかりますか?」と。
「はい、インドネシア語で闘争精神という意味ですよね」と答えると、ふと安心した表情になって、話を続けてくれました。
小野盛さんがインドネシア独立戦争から得た教訓とは?
【写真:日本語で書かれた日本人慰霊碑(東ジャワ州のマランにて)】
小野盛さんは言いました。
まさに武器をもたず、素手で敵陣に向かって突き進むんです。あぁ、これがまさに無鉄砲という意味なのかと。これはちゃんと彼らに戦い方を教えなきゃいかんと思いましたですね。
そしてまた、こんな話もしてくれました。
でも、一部のインドネシアの人たちが、だんだん贅沢を覚えましたでしょう? 贅沢を覚えますとね。人間はダメなんです。
この時、私は、これはおそらく小野盛さんが残したい心からのメッセージなのではないかと感じました。
「メンタル・ブルジュアガンを忘れてはいけない」
「闘争精神を忘れてはいけない」
それはインドネシアの若者だけでなく、日本の若者に対してのメッセージでもあるように感じられます。
小野盛さんの「インドネシア残留」という人生決断の意味
【写真:小野盛さんの足跡を丁寧に追うことから残留日本兵を問題を考察した書籍「残留日本兵の真実」】
小野盛さんは私に言いました。
以前、女優のかたせ梨乃さんが、小野盛さんにこんな質問をされました。
「インドネシアに残って良かった事って何ですか?」
小野盛さんは言いました。
これは、本当に深いと思いました。
日本のテレビ番組「世界の村で発見!こんなところに日本人」で、2014年1月に放送されたもので、以下が映像です。
インドネシア残留日本兵、小野盛さんから現代人が学ぶこと
ちょっとした出来事に一喜一憂するのではなく、「これは幸せだ」と有頂天になることもなく、「これは不幸だ」と過度に落ち込んだり他を責めたりするのでもなく・・・。
メンタル・ブルジュアガンの気持ちをもって、与えられた一日また一日を、真剣に生ききること。その積み重ねでしかないのだと。
小野盛さんは、インドネシアの独立に資するだけでなく、人間としての幸せな独立をも達成された人物なのだろうと推察します。
小野盛さんは亡くなりました。しかし、小野盛さんの朴訥とした真摯な語り口は、今でも忘れることができません。
小野盛さんがインドネシアに残留して得た人生哲学
【地図:小野盛さんが余生を過ごした東ジャワ州のバトゥ】
齢95で、左腕も失い、視力も失った小野盛さん。それでいて、何とも言えないにこやかな表情を浮かべる小野盛さんは、それこそ仏様のようですらありました。
今でも時折、小野盛さんの娘さんが私の投稿に「いいね」をしてくれます。その度に、小野盛さんから「ちゃんと頑張ってるか? メンタル・ブルジュアガンの気持ちをもって生きているか?」と応援してくれているような気持ちになります。
小野盛さんに出会えたことの幸福を、改めて痛感させられる8月17日です。
【参考】2022年ジャカルタに「残留日本兵資料館」オープンの動き
インドネシアでは2022年オープンを目指して「残留日本兵資料館」の開設が模索されています。関係者の写真や手紙、証言映像などがデジタル化されて展示される予定のようです。
【参考】インドネシア残留日本兵を考える書籍
インドネシア残留日本兵を知るための書籍としては、以下がオススメです。
【参考】インドネシア残留日本兵に関するブログ記事
「インドネシア残留日本兵」や「インドネシア独立」に関連するブログ記事です。こちらもどうぞ。
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【 時の運と人の縁を極める日々の記録 】 渡邉 裕晃
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