大事な人が、この世を去りました。言葉がありません。
「大学生向けアジア新興国インターンシップ」で日本一の規模を誇るのが「武者修行プログラム」。年間1,000人近くの大学生が参加する2週間の研修です。2016年8月以来、私は「ビジネス・ファシリテーター」として携わってきました。
その創始者である和也さんが、2020年(令和2年)10月6日の午後5時16分、わずか47歳という若さで息を引き取りました。死因となる病名は「慢性活性型EBウィルス感染症」です。
思いつくままに書き記します。長過ぎるので「目次」をつけます。ただし、思いつくままに書きなぐり、それを読み返してから「見出し」を付しただけに過ぎません。
「事前に構成を作ってから書いた」という文章ではないので、内容に「まとまりがない」点はご容赦ください。原稿用紙で19枚分くらいの分量です。
目次
和也さんを一言で表してみると
私にとって和也さんは、とてつもなく大きな影響を与えてくれた人です。「どんな人か?」と問われても、一言では答えられません。
でも先日、早朝にウォーキングをしながら沈思黙考していると、不思議と上から言葉が降りてきました。その言葉にふれて、「おぉ、なるほど!そういうことか!」と感じることができました。実に適切に表してくれた言葉でした。私の言葉ではありません。
降りてきた言葉を、あえてそのまま記します。
「和也さんは、私が見えていなかった世界を見えるようにしてくれた人」です。そして、その言葉を真似して、あえて私が表現を加えるなら「和也さんは、私が聞こえていなかった世界を聞こえるようにしてくれた人」でもありました。
苗字で呼びあったことが一度もない、不思議な4年半
最初の出会いは2016年4月。武者修行プログラムでファシリテーターをつとめさせていただいたのは、2016年8月から。そして亡くなったのが2020年10月。
4年半の交流でしたが、私は和也さんの名前を「苗字」で呼んだことが一度もありません。また和也さんも、私を苗字で呼んだことがありません。
実は、かつて私は何度かネットで検索して、わざわざ和也さんの苗字を調べたことがあります。武者修行のことを人に紹介する時に、代表者の名前を問われて、でも苗字がわからなくて。
私と武者修行との出会い
そもそもにおいて、「武者修行プログラム」との出会いは数々の不思議に彩られていました。
2015年のこと。私はインドネシアに住んでいましたが、昔の日本でのビジネス上の先輩から、急にメールが届きました。
「今度、僕の後輩がインドネシアに旅行に行くんだけど、もしよかったらランチしてやってくれないかな? スラバヤに行くらしいんだよ」と。
内容を聞いても、相手がどんな人なのか、わかりません。ビジネス上のメリットもありません。「もし良かったら、スラバヤでランチしてくれないか? でも、住んでいるところから遠いんだよね? 忙しかったら無理しないで」と。
よくわからないままに、でも、何かありそうな予感も少しだけあって。1泊分のホテルを手配して、この方とのランチのためだけにスラバヤへ。
「はじめまして」と挨拶してからランチ。特に仕事の話をしたわけでもなく、普通のあたりさわりのないおしゃべりで終了。私が感じていた「何かありそうな予感」は、ハズレに終わりました。1泊してから、自宅へ帰宅。そして終了。
その1年後、急に、この方から連絡がありました。「1年前のスラバヤでのランチでは、ありがとうございました」と。「こちらこそ」と返事。
で、急に言われました。「実はなんですけど・・・、あの、渡邉さん、4ヶ月後の夏休み期間なんですけど、2週間だけヒマだったりしますか?」と。「えっ、なんですか?」
「実は・・・・」と、武者修行プログラムのことを紹介されました。でも、説明を聞いても、いったい何のプログラムなんだか、わかりません。「大学生向けにビジネスを教えるプログラムで・・・」と。当時の私の理解では、その程度のものでした。
「で、もし興味があったらなんですけど、詳しい説明を代表からさせてもらいたいので、Skypeで30分ほど面談させてもらえないですか?」と。
大きな興味があったわけではありませんでしたが、Skypeで説明を聞くくらいならいいかなと思ってOKしました。その後、面談の機会が設定されて、初めて和也さんと話をすることができました。
30分ほど、プログラムの説明を受けました。でも、残念ながら、プログラムの内容は漠然としていて、よく理解できませんでした。ただ感じることができたのは、なんか楽しそうな気がするということだけ。
いくつかの質問をされて、私なりに答えて。採用されたいという気持ちは全く無かったので、ふつうに本音を伝えただけの面談。
最後に、和也さんは言いました。「わかりました。私の一存では決められないので、1週間ほど選考の時間をください」と。わたしも「わかりました。お待ちしています」と伝えてSkype終了。
3分後、また和也さんからSkypeが来ました。「何か、質問し忘れたことがあるのかな?」と思い、「何でしょうか?」と尋ねてみました。
和也さんは言いました。「採用です!」と。「え? さっき、1週間後って言いませんでした?」と聞くと、和也さんは「実は・・・」と説明してくれました。
「ホントに偶然なんですけど、実は同じタイミングで、別の人もあなたのことをファシリテーターに推薦していたんです。2人が同時に推薦しているんだから、間違いないと思いました。だから、4ヶ月後、ぜひベトナムに来て下さい。2週間のプログラム。一緒にやりましょう」と。
「いったいそれは誰なんだろう?」と思いました。2013年、私がインドネシアへ向かうちょっと前、私は大好きなレストランの「立ちのみコーナー」で特大ジョッキのビールを飲んでいました。
隣には、同じく特大ジョッキでビールを飲んでいる夫婦がいました。「はじめまして」と乾杯しました。もちろん武者修行の話など、まったくしていません。ただ飲んで、解散しただけ。
でもその人でした。いつの間にか和也さんに私を推薦してくれていたのが。不思議ですよね。その女性は現在、武者修行プログラムの2代目社長に就任しています。
もしスラバヤでランチをしていなかったら。もし立ち飲みコーナーで隣の夫婦と乾杯をしていなかったら・・・。私は武者修行に携わることはありませんでした。見えずにいた世界は見えないままで、聞こえずにいた世界は聞こえないままだったかもしれません。
ちなみに、この「立ち飲み屋でのおしゃべり」については、過去にブログでも書いています。
「すべては参加者のために」
和也さんは「武者修行プログラム」にすべての人生を捧げていました。多くの大学生の人生を変えました。プログラムにおける和也さんのこだわりは「すべては参加者のために」ということでした。
私が最初にファシリテーターをつとめたのは、2016年夏です。何もわからないまま、ファシリテーターの仕事をさせてもらいました。当時の参加者たちには申し訳なかったと感じます。
武者修行で何をしたらいいのか、いつまでたっても教えてもらえませんでした。いや、教えてもらえるのですが、すべてが漠然としていて、何をしたら良いのか、まったくわかりません。
「参加者のためになることは全部やってください」って。
それで意味がわかりますか???
武者修行の1日目が始まります。たくさんの大学生と会いました。自己紹介しました。でもどんなレクチャーが行われるのか、まったくわかりませんでした。私はファシリテーターでしたが、何もわからない人でした。だって、説明がないんですから。
何日目だったか・・・、夜のレクチャーで、和也さんは参加者のためにプレゼンをしていました。私は、ただ聞いているばかりで、へぇ・・・という連続でした。とても楽しく聞いていました。参加者たちも熱心に聞き入っています。
レクチャーを続ける中、和也さんがみんなにいいました。
「はいっ。では皆さん、3人ずつのグループをつくってください。ここまでの私のレクチャーで何を感じたのか、それぞれ話し合ってください。15分あげます。ではどうぞ!」と。
どんな議論が行われるんだろう?と興味津々だった私は、参加者グループに近づこうとしました。ところが、和也さんから急に呼ばれました。小声で耳打ちされました。
「あの、申し訳ないんだけどさ。この15分の話し合いが終わったら、あと僕のレクチャーのプレゼン、残すところ数ページだけなんだけど。今、どうしても隣の教室に行かなくて。最後の数ページだけ、やってくれない?」って。なんという無茶振りでしょう。
私は彼がどんなレクチャーを行うかすら、まったく知らされていない。結論として伝えたいことも、まだ知らない。武者修行のことも全然わかっていない。ええっ?えーっ?・・・と困惑する中、和也さんはいいました。
「あ、わかりました。あの・・・大丈夫です。スライドめくったら、きっと話ができますから。で、あ、そうだ。むかし○○の体験したことがありますよね? それを中心にみんなに伝えて下さい。数分だけでも良いです。それを全力で伝えきって下さい。もし何かあれば、私が責任とるんで大丈夫です」と。そして和也さんは隣の教室に消えていきました。
私の記憶の限り、私が初めて武者修行の中でレクチャーを担当したのは、この時です。すべてがめちゃぶりのプログラムでした。
ものすごい緊張しました。だって、何もわからないんですから。でも参加者たちは、私をプロのファシリテーターをして見てきます。私はまったくの素人でしかないのに。
最後の数ページのスライド内容をわからないまま、それを伝えないといけない・・・。しかも私のその体験を伝えきる? 話をまとめる時間もない。
必死でやりました。数分でした。記憶が正しければ。でも、終わってみたら、いつの間にか教室の後ろに和也さんが立っていて。実は途中から聞いていたようでした。
「いいじゃないですか! あの話、よかったです。あれで大丈夫です!」って言ってくれました。
「そうか、とにかく一生懸命に全力でやれば、なんとかなるんだな」と感じました。
「参加者のためになることは全部やってください」
なるほど、そういうことなのか!って、なんとなく感じることができた、最初の体験でした。
その後も続いた無茶ぶり。私にとっても武者修行でした
実はその後も、何度か和也さんは、そんな無茶ぶりをしてくれました。和也さんだけが担当していた「中間面談後に行われる、グループごとのビジネス面談」。参加者にとっても、非常に価値のある面談です。
あるとき私は「ぜひ勉強のために聞かせて下さい」と同席をさせてもらいました。
参加者たちの様子を見ながら、テキパキと対応する和也さん。参加者の態度も変わっていき・・・。「とにかく、すごいなぁ」って、放心状態で見ていました。
ある時、和也さんが言いました。「次のグループ面談、やってみませんか?」って。またもやの無茶振り。「えっ、まだ無理ですって」と伝えると、「わかりました。じゃぁ、あと2グループだけ僕がやるから、やり方を覚えて下さい。で、3グループ目をやってください」
ただただ困惑する私。えええっ? 和也さんが言いました。「3グループ目のときは、僕は部屋の端で寝たふりをしています。ちゃんと聞いているから、問題があれば介入します。だから安心してやってください。問題があれば介入して、ちゃんと参加者のためにやりますから」って。
これまた、同じ状況・・・。で、私は一生懸命にやりました。寝たふりをしていた和也さん。何度か、寝言のような何時で、口出しをしてくれて。そしてまた寝たふりを。
終わってから、いくつかアドバイスをもらい。でも「大丈夫ですよ、あれで。この点だけ気をつけて下さい。それさえ気をつければ、もう、できてますから大丈夫です」って。
参加者にとっての厳しい武者修行の毎日は、私にとっても厳しい武者修行の毎日でした。
「参加者から好かれようと思わないで下さい」
また、和也さんは、こんなことも言いました。
「ファシリテーターは、参加者から好かれようと思わないで下さい」。
「参加者」とは、2週間の「武者修行プログラム」に参加する大学生たちのことです。
「えっ?どういうことですか?」
「あの・・・経験が浅いファシリテーターほど、参加者から好かれようとするんです。でも、参加者から好かれようと思わないで下さい。とにかく参加者のためになることを全部やってください。
結果として、参加者から嫌われたっていいんです。いいじゃないですか、嫌われたって。だって、参加者のためになることをやるんだから。
とにかく、参加者の未来につながることは、全部やってあげてください。もし何か問題が起きたら、私が全部責任をとります」
とにかく本気で人を鍛えてくれる人でした。「参加者のためになることは全部やる!」と。こうして、着々と・・・、ご自身の健康状況は悪化していったのです。
3月の武者修行はコロナで中止。和也さんの教えで奇跡が起きた
2020年3月の「武者修行プログラム」。私もファシリテーターとしてホイアンへ行く予定でしたが、直前になって、まさかの「開催中止」が決定されました。コロナによるものです。
私が担当する「ビジネス・ファシリテーター」という役割は、2週間のプログラムが始まる前から参加者たちとの交流が始まります。彼らのビジネスプランにフィードバックを与え、より深く「企画内容」をブラッシュアップしてもらうためのものです。
今回の3月の「武者修行プログラム」では、私は和也さんの教えにしたがって、もう、ありえないくらいに本気で参加者たちと向き合いました。いただくお金に見合わないくらいの労力を割きました。ホイアンの研修で、少しでも貴重な体験をしてほしいと考えたからです。
しかし、まさかの開催中止に・・・。みんなのビジネス企画が、実際にホイアンで試されることを期待していただけに、とっても残念な出来事でした。コロナであれば仕方ありません。
参加予定者たちも、残念で仕方がないと。しかし、びっくりしたことに、参加者の中には、こんなことを伝えてきた人たちがいたそうです。
ビジネスファシリテーターからもらったフィードバックで、ひっかかる言葉があった。その言葉が悔しくて、でも、そのおかげでグループでの議論を深める機会ができた。そこでたくさんの発見があった。武者修行プログラムに参加できなくなったのは残念だけど、その経験だけでも大きな意味があったと感じている・・・と。
和也さんはいつも言っていました。「参加者のために、とにかく本気でやってください」と。僕はその言葉のとおりのことをやっただけです。しかし、武者修行プログラムに1日も参加できなかった人たちから、そんな言葉がもらえるとは予想もしていないことでした。「本気」というのは、実に偉大なものだと、改めて思い至った出来事です・・・。
「一時帰国します」
「今度10月に一時帰国するんです」と報告しました。「じゃ、東京で、ぜひ会いましょう!」と。メッセンジャーで、やりとりを。
数分後、また和也さんから追加のメッセージが来ました。
「会いたいんですけど、もしかしたらなんですけど、会えないかもしれないんです」って。
病気の進行状況を詳しく教えてくれました。
まさに、さとりきった人の言葉が並んでいました。満足していますと。
でも最後に書かれていた言葉は、今でも忘れられません。
「ただ・・・もうちょっとだけ生きてみたいんです」って。
不思議と悲しみがない
不謹慎と思われるでしょうが、数々の武者修行生が彼の訃報に泣く一方、不思議と私の中には悲しみが起きません。
なぜなら、私の中では、彼は生きているからです。
・一生懸命に本気でやれば、必ず変化を起こせるということ
・常に自らの心の声に耳を研ぎ澄ませること
・他人の人生を生きるのではなく、自分の人生を生きること
・嫌われてもいいから全力でやれば、いつかわかってくれる時が来る
いろいろありすぎて、語りきれません・・・。
なお以下の記事も、ぜひどうぞ。
【参考】武者修行プログラムと和也さんを知るために
和也さんや「武者修行プログラム」のことを知りたいという人は、ぜひこちらを参照して下さい。
■和也さんの最後のインタビュー記事
■東洋経済「ベトナム武者修行する日本学生が増える理由」
■私がファシリテーターとして参加した「武者修行プログラム」全記録
■武者修行プログラム|300人の大学生の成長ぶりと学校教育への疑問
■【動画】武者修行プログラムのことがよくわかるYoutube映像8本!
■ラジオ「ON THE PLANET」16分インタビュー(2019年12月3日放送):【ベトナム】ベトナムでインターンシップ!人生で最も濃い時間を。
【参考】旅武者ベトナム法人CEOカインからの日本語メッセージ
続報です。12月8日、旅武者のベトナム法人CEOのカイン(Khanh)が、日本語で長文のメッセージを発信しました。非常に濃い内容になっています。参考までにシェアします。
"和也さんは旅武者を始めてから、毎日ハードワークをしていました。和也さんはそれを喜んでいてやっていました。
眠る直前まで働き続け、そして起きてすぐに仕事を始める。それが和也さんのやり方でした。"
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