世界でイスラム教徒の人口が最も多い国はインドネシアです。イスラムでは火葬を忌み嫌い、土葬が選択されます。インドネシアでは人口の85%がイスラムです。圧倒的なイスラム=土葬社会ということもあり、インドネシアでは火葬を選ぶ人は少数派なのです。そのためインドネシアの火葬に関する実情は、あまり広くは知られていないというのが実態です。
今回のブログでは、イスラム文化圏であるジャワ島の火葬事情および火葬場の見学結果をご紹介します。実際に東ジャワのマランにある火葬場を調査し、施設担当者へもインタビューさせていただくことができました。この見学を通じてわかったことを、インドネシアのキリスト教系の火葬事情、インドネシア華人(中国系の住民)の火葬事情としてまとめてみました。
なお本記事は、葬儀について解説した前編である「インドネシアの葬儀|非イスラムのキリスト教系の葬式と火葬の内容は?」の続編にあたります。ぜひ前編もご覧ください。
目次
土葬文化で知られるインドネシアに火葬の需要はある?
インドネシアは「世界で最もイスラム教徒が多い国」として知られていますが、イスラム教は土葬です。そのためインドネシアは土葬がメインです。そのため「火葬の需要はあるの?」と思われるかもしれません。
上記の写真は、ジャカルタにあるカリバタ英雄墓地の様子です。独立戦争で亡くなった人たちが英雄として埋葬されていますが、写真を見てもわかるように土葬になっています。
しかし、ブログの「前編」でも取り上げたように、インドネシアでは火葬の需要が伸びています。この背景としては2つの側面があるようです。
火葬の需要:インドネシアに住む外国人から
インドネシアにおける火葬需要の一つは「インドネシアに住む外国人」を対象とするものです。
不慮の事故などによりインドネシアで死亡した外国人は、宗教上の理由等が無い限り、火葬されるケースが多いとされています。火葬をせず、遺体をそのまま搬送する場合、飛行機の手配を始めとしてコストが高くついてしまいます。
そうした背景から、インドネシアで亡くなった外国人の場合、多くはインドネシアで火葬をしてから本国へ搬送するという流れをとるようです。上にある写真はジャカルタにある日本大使館ですが、日本大使館のウェブサイトを見ると「火葬 (御遺骨を本邦に持ち帰る場合)」というページがあります。インドネシアで亡くなった日本人を対象に、現地での火葬に関する案内が紹介されているのです。
これについては本ブログ記事の「前編」である「インドネシアの葬儀|非イスラムのキリスト教系の葬式と火葬の内容は?」でもご紹介しました。
火葬の需要:イスラム以外の人たちから
「インドネシアで火葬」というと、大抵の場合はバリ島のケースが取り上げられます。バリ島は人口の95%がヒンドゥー教ということもあり、火葬がメインとなっているためです。
バリ島の火葬を取り上げた作品はたくさんありますが、例えば『土と火と水の葬送-バリ島の葬式』(1990年:114分)があります。これは、国立民族学博物館、民族文化研究部の大森康宏教授が監督となって、映像化されたものです。
またキリスト教についても「火葬」を選択する人が増えています。インドネシアの中ではスラウェシ島の北部、インドネシアの東部にある島々、ニューギニア島の西部などは、キリスト教徒の割合が高いことで知られています。
さらには、今回とりあげる華人系のインドネシア人についてもキリスト教や仏教の割合が高い傾向にあります。こうしたエリアの人々や、華人系の人たちに関して言えば、火葬を選択する人たちが増えています。
インドネシアというと「イスラム=土葬文化圏」というイメージをもってしまいがちです。しかしインドネシアは面積が広いだけでなく多民族から構成されるということもあり、こうした違いが生まれてくるのです。
マランのセントン火葬場の場所と設立の背景は?
冒頭に記した通り、今回は東ジャワのマランにある火葬場を調査し、施設担当者へもインタビューさせていただくことができました。前回ブログでご紹介しましたが、葬儀社「ヤヤサン・ゴトンロヨン」が運営する「セントン火葬場」になります。まずはその場所と、設立の背景を紹介します。
セントン火葬場の場所
葬儀社「ヤヤサン・ゴトンロヨン」が運営する「セントン火葬場」(Krematorium Sentong)は、インドネシア第2の都市スラバヤからは80kmくらい離れたラワン(Lawang)という場所にあります。
葬儀場のある「ヤヤサン・ゴトンロヨン」本部からは、北に向かって20kmも離れた場所にあります。葬儀場と火葬場は隣接していません。2ヶ所を地図で示すと以下の通りです。道路の渋滞が激しい区間でもあり、今回の移動では1時間半程度の時間を要しました。
葬儀を終えてから火葬場へ向かう際、遺族や関係者は大型バスに乗って移動することになります。なお、この際は警察車両が先導し、サイレンを鳴らしながら優先的に走行させてもらえる場合がほとんどです。
火葬場は街外れの丘陵地帯の谷間にあり、緑に囲まれた風光明媚な場所となっています。その周囲には、以前からあった華人墓地になっています。
セントン火葬場の設立の背景は?
「セントン火葬場」は、2013年12月に開設され、2014年1月から運用されています。
セントン火葬場が開設される以前は、マラン市街から西に20km程のところにあるバトゥ(Batu)の「ジュンレジョ火葬場」(Krematorium Junrejo)が利用されていました。地図で示すと以下の通りです。
この「ジュンレジョ火葬場」への視察はまだ行っていません。話によれば、現在でも運用されているものの(つまり、マランだけでも2箇所の火葬場が存在していることになる)、かなり旧式のようで、火葬には8時間を要するとのことでした。
また、この「ジュンレジョ火葬場」は別の仏教系の葬儀社が運営しています。機会を改めて、視察と調査を行うことができればと考えています。
つまり、火葬に対する需要の高まりに応えたいとの背景がある中で、使わせてもらっている「ジュンレジョ火葬場」が老朽化していう現実があったわけです。そこから「自前での火葬場を設けたい」という考えに至り、新たに「セントン火葬場」を建設したということになります。
セントン火葬場の設立で反対運動も。解決策は?
「セントン火葬場」は、2013年12月に開設されて2014年1月から運用がスタートしたわけですが、その設立は必ずしも順調とは言えなかったそうです。その背景には、「土葬文化ならでは」の問題がありました。地元からの反対運動と、その解決策をご紹介します。
建設場所は墓地の隣、反対は起きないと予想していた
「セントン火葬場」の建設場所に選ばれたのは、街外れにある丘陵地帯でした。緑に囲まれた風光明媚な場所で、周囲には華人墓地が存在します。
上の写真は現地の華人墓地の様子です。高原の中腹にたくさんのお墓が並んでいます。また地図で示すと以下の通りで、墓地のすぐ隣に位置していることがわかります。
当初は「もともと墓地がある場所だから、地元からの反対は起きないはず」と考えていたそうです。しかし予想に反し、周辺住民からの反対運動に直面します。さらには2度にわたって襲撃を受け、配電盤などの設備が破壊されるという事件まで起きるのです。
火葬を忌避する環境も。地元の反対運動の内容は?
周辺住民からの反対の背景には、2つの点が関係していました。1つ目は、火葬場を建設することの環境破壊です。実際に火葬場が運営されれば定期的に遺体を焼却することになります。こうした動きが環境に与える悪影響が、住民たちの心配のタネになったのです。
そして2つ目は「そもそも火葬場はイスラム的ではない」という考えによるものです。イスラムでは土葬です。火葬は許されていないのです。
もちろんイスラムではなく、宗教上の問題がない人の遺体を火葬する分には問題がないわけですが、それでもイスラムの教えに相違する方式の施設ができることになります。これもまた、住民たちの懸念事項となったのです。
火葬場を作るために地元の人々と協議、解決策は?
その後、住民の代表との話し合いが行われることになります。その結果、一定の条件を守ることで、反対が取り下げになります。その条件とは次の2つでした。
まず1つ目は、地元の住民を職員として雇用するというものです。外部の人材を使うのではなく、あくまでも地元の人を雇用してほしいという要請でした。一見すると、地元のイスラム教徒を雇用するというのは失礼にあたりそうなものですが、「雇用」を優先したということなのだろうと思います。
そして2つ目は、火葬を行うごとに一定金額を地元の村に納めるようにしてほしいという内容です。1つ目と似たような内容ですが、必ずしも豊かとは言えない状況の中で、少しでも経済的な支えを得たいという村の事情が影響したものと考えられます。
これら2つの条件で合意が行われ、「セントン火葬場」は無事にオープンすることになったのです。しかし現在でも、火葬場の敷地は高い塀で囲まれています。また、インドネシア国軍から兵士を派遣してもらい、入口の警備にあたらせている状態です。当日も、屈強な体をもつ兵士が銃をもって警備にあたっているという状況でした。
火葬場の施設やデザインの特徴は?
次に、「セントン火葬場」の施設をご紹介します。写真で見てもわかる通り「セントン火葬場」は非常にオープンな環境にあり、デザイン的にも凝ったつくりになっています。
死を「閉じた」「暗い」ものとしてとらえるのではなく、それこそ「天と地をつなぐ」かのような、開放的な雰囲気が見て取れるのではないでしょうか。
火葬棟と納骨堂から構成された施設
火葬場の敷地には、火葬棟と納骨堂が設置されています。これらのデザインは「ヤヤサン・ゴトンロヨン」によって策定され、地元の建築業者によって施工されています。
上の地図は、上空から見たセントン火葬場です。右の建物が火葬棟で、左の建物が納骨堂になっています。火葬棟は、壁が無いオープンエアーのつくりになっていて、当地の風土に良く合ったデザインだと言えます。
納骨堂
納骨堂は、上から見ると正八角形をしていることがわかります。これは、仏教の仏塔をイメージしてデザインされたものとのことです。
納骨堂は2階建てで、内部には螺旋状になっているスロープがあり、車椅子のままでも階上に上がることができるようになっています。
火葬棟
火葬棟は上から見ると、半円形に近い扇形になっています。屋根の下が炉前になっていて、左右対称の配置になっているのが特徴です。
炉室は建物の中央にあり、待合スペースや管理事務所も配置されています。また、利用する遺族のために木製のベンチやテーブルが用意されていて、非常に先進的なデザインになっていると言えそうです。
なお火葬炉は2基設置されていて、中国製です。高密市寰海環保設備有限公司(山東省)によって納入された製品となっています。
火葬棟にある2つの火葬炉は背中合わせになっており、それぞれの炉前において、異なる宗教による儀式が同時進行しても支障がない設計になっています。炉前には、参列者が座ることができるよう、木製のベンチが教会の礼拝堂のように並べられています。
なお「ヤヤサン・ゴトンロヨン」は主に華人によって運営されている関係からか、炉前の片隅には「火神」「福神」の小さな碑が設えられていました。「インドネシア=イスラム」というイメージからすれば、インドネシアにいるとは思えないような雰囲気の環境になっていると言えるかもしれません。
火葬の流れ、かかる時間や料金は?
火葬場の設備やデザインを紹介してきましたが、今度は具体的な火葬の流れをご紹介します。葬儀場から霊柩車に乗せて棺を火葬場に運ぶところから、実際に火葬炉に点火するところ、火葬に要する時間や料金までを解説します。
葬儀場から霊柩車での搬送、警察車両がサイレンで
火葬を行う際、スタートとなるのは市内の葬儀場です。遺族に付き添われ、霊柩車で棺を火葬場まで運んでいきます。なお道中では、現地の警察車両がサイレンを鳴らしながら先導を行うスタイルです。
今回のセントン葬儀場の場合は、「ヤヤサン・ゴトンロヨン」の本部のある葬儀場からの出発です。先ほどご紹介した地図の通りですが、再掲すると以下の通りです。
霊柩車が火葬場に到着
霊柩車が火葬場に到着すると、火葬炉の前に後ろ向きに停められます。そして、柩が降ろされます。柩は車からいったん台車(火葬用の台車ではない、通常の台車)に移され、遺族によって最後の供花が柩の蓋の上に盛られていきます。
その後、柩は火葬用の台車に移し替えられ、炉に見送られるという流れです。キリスト教であっても仏教であっても、宗教儀礼を除けば炉前での工程は同じです。
さまざまな儀式
その後、神父さんによるお話が行われました。今回のケースはキリスト教にのっとった方式のため、神父さんが遺族を慰める話をしたり、参列者で賛美歌を歌ったりという時間です。
「最愛の人物が亡くなってしまい、もしかしたら神様をうらみたくなるかもしれません。神様なんか、いないんじゃないかと思うことすらあるでしょう。しかし聖書には、人は神の祝福により永遠の命を得ることができるとしています」
「皆さんは、お亡くなりになった最愛の人物の意志を、残りの人生で継承することができます。彼自身を、あなた方が体現することができるのです。つまり、その時点において、最愛の方は皆さんによって生かされているということになります。あなた方が神のもとで生きるということで、彼の生命をその後も生かすことができるのです」。・・・などなど。
今回の神父さんは、とてもお話のうまい方で、遺族は随所で大きくうなずいたり、また話を聞く中で涙を流す場面も見られました。
棺の入炉へ
こうして儀式が終わると、ついに入炉のタイミングを迎えます。入炉は、遺族の代表(長男の役割。長男がいない場合は、婿→長女→甥の順)が、火葬炉の横にあるボタンを押すことによって行われます。
代表が一人でボタン押す場合が多いようですが、代表者の後ろに遺族が順に並び、前の人の肩に手をかけて「みんなで押す」というかたちを取る場合もあります。この写真では、最前列にいる人が、火葬炉に棺を送り込むボタンを押そうとしていますが、その後ろに並んだ人たちは、それぞれの前にいる人の肩に手をかけ、「みんなで同時にボタンを押す」動作を行おうとしています。
但し、このように「みんなでボタンを押す」のは稀で、多くの場合、長男など遺族の代表者がひとりでボタンを押すという傾向にあるようです。
これが、火葬炉の化粧扉脇にあるモニターです。モニターの右下にあるボタンを押すと、火葬炉の化粧扉が開き、柩が炉の中へ自動的に送り込まれるようになっています。
日本においても、遺族が「火葬開始ボタン」を押す習慣をもつ火葬場があり、そのボタンを押すことになった遺族が抵抗を示すケースも見受けられます。しかし、マラン当地では、むしろ「みんな押したがる」とのことでした。
この写真は、火葬炉の化粧扉と、耐火扉を開いたところです。台車は、手前に見えるレールに沿って自動的に炉内に送られていきます。図中で台車が位置している場所が前室に相当する部分で、台車の真上には冷却用の吸気ダクトが設置されています。
ハトの存在と意味合いは?
また、火葬に際しては白いハトが放たれることもあります。日本でも同様の「放生」を行う場合がありますが、ここでは「天国への道が開かれたというしるし」としてハトを放すのが習慣になっているようです。なおセントン火葬場のハトは、火葬場の敷地内にあるハト小舎で飼育されています。
紙製のお金や家・車などの模型を焼く風習も
さらに、紙製のお金や家・車などの模型を焼くという風習もあります。これは各地の中国系の葬儀でもよく見られるもので、炉前の祭壇には、それらを焼くための金属製の盆も用意されています。
写真は、炉前の祭壇脇に用意された、金属製の盆です。ここでお供え物の紙幣や家などの模型を焼くことになります。
火葬に要する時間は?
こうして棺が火葬炉に入っていくわけですが、火葬に要する時間は、どれくらいなのでしょうか。担当の方に確認をしてみたところ、柩を作る板の厚さや材質によって異なるものの、概ね2時間から2時間半くらいとのことです。
この写真は、炉裏から見た火葬炉の本体です。中国の高密市寰海環保設備有限公司によって納入されています。
火葬炉の形式は、いわゆる「前室付き台車式」と呼ばれるもので、火葬炉の内寸は日本のものよりもかなり大きくなっています。これは、前回のブログ記事でも写真入りで紹介したとおり、大型の柩が用いられるためです。火葬炉を納入した中国の業者も、現地で使われている柩の大きさに驚いていたそうです。
火葬中の炉裏では、燃えやすいよう、係員により金属の棒(デレッキ)を用いて柩を崩すなどの作業が行われます。また、柩に入れる副葬品に制限は設けられていないものの、柩によっては、鏡やガラスがはめ込まれている製品があり、それらの場合は遺骨への付着を防ぐために、ガラスの部分を取り外してから火葬するとのことでした。
燃料は燈油で、火葬炉には再燃炉が付属しており、環境に対して負荷が無いよう、排煙は最小限に抑えられているとしています。
火葬が始まると、多くの場合、遺族は火葬場を後にして、再び葬儀場などに戻ります。ただ火葬場で待機することも可能で、その場合は、火葬棟の中にある、やはりオープンエアーになっている待合スペースで、食事をしながら待機することもできます。
火葬後、遺族による収骨はせず、粉砕されることに
今度は、火葬が終わってからの流れです。
火葬後の遺骨は、台車ごといったん前室(前室の天井には、冷却のための吸気ダクトが設えられている)に引き出されます。そこで冷却された後、係員の手によって集められます。そして、火葬炉と同じ業者によって納入された「骨灰整理機(遺骨を粉砕する装置)」にかけられて、細粒化されることとなります。
上にある写真が、その装置です。上面にある穴の中に遺骨を入れます。粉砕された遺骨は正面下にある取っ手がついた容器内に入ります。この装置も、火葬炉と同じ中国の業者によって納入されたそうです。装置の後ろには、排気筒を監視するモニターも見えます。
なお、日本のように、遺族が手ずから遺骨を収骨することはありません。しかし、もし日本式の収骨を希望するならば対応は可能とのことですが、今までにそのような希望を受けた前例は無いようです。少なくともこれまでのケースでは、全ての遺族が粉砕された状態の遺骨を望んだとのことです。
どのような骨壷に入れられる?
粉砕された遺骨は、当日または後日に遺族の待つ場所(葬儀場など)に届けられます。そして遺族の手によって骨壺に収められることになります。
骨壺に決まりはなく、自前で好みの壺や容器を用意することもできます。ただ、多くの遺族は火葬料金に含まれる既製品の骨壺を選択する傾向にあるようです。
陶器の壺になっていて、側面には何カ所かの穴が空けられています。この中に、紅い布で包んで遺骨を収納し、さらに壺の外側も紅い布で包むという方法です。なお骨壺に穴が空けられているのは、後に海に散骨する際に、そのまま海底に沈みやすいようにするためです。
骨壺に収められた遺骨は、納骨堂(前述の通り、市内にある葬儀場や、この火葬場にも納骨堂が併設されている)に納めるか、または、後日に海に散骨するかたちになります。現在は、海に散骨する場合が多いとのことでした。
なお散骨する場合でも、散骨当日までの間は自宅に遺骨を置くことはなく、納骨堂で預かってもらうのが一般的です。
火葬の料金は?
「ヤヤサン・ゴトンロヨン」を利用する遺族のうち、火葬を選択するのは65%で、土葬は35%となっています。年間の葬儀件数は200-300件で、火葬件数は150-160件とのことでした。なお、視察当日は平日だったこともあり、火葬は行われていませんでした。
火葬の料金は、柩の材料となる板の厚さによって決まります。2cmで420万ルピア(約32,000円)からとなっており、8cmで1,480万ルピア(約11万2,000円)まで、1cmきざみで段階的に高くなります。なお10cm以上の厚さの柩が火葬できないのかは未確認です。
また、子供と改葬骨(但し柩の厚さは2cm以下)は350万ルピア(約27,000円)となっています。
今後の現場調査で行うべきこと
以上、東ジャワのマランにある「セントン火葬場」を事例に、現地の火葬場の実態をご紹介しました。前回のブログ記事では「葬儀」についてをとりあげ、今回のブログでは「火葬」についてを取り上げました。「ヤヤサン・ゴトンロヨン」における一連の葬儀・火葬の流れということになります。
今回は、中華系キリスト教徒の葬儀と火葬の現場を紹介しましたが、遺族によって異なるケースもあり、次回また機会があれば、異なる事例の視察をしてみたいと考えています。
また、数日間を要する場合が多いという葬儀全体の流れについても、キリスト教式・仏教式の葬儀共にその詳細は不明な点も多く残っています。マランにあるもう一箇所の火葬場であるバトゥの火葬場とあわせ、機会を改めて再度の調査を検討しています。
さらには、冒頭で紹介した通り、インドネシアは広大で多民族、多文化の国家としても知られています。マランだけに限定せず、インドネシア各地の火葬場を視察していくことで、また新たなインドネシア理解にもつながっていくのではないかとも感じているところです。また新たな発見などがあれば、ブログでご紹介したいと思います。
というわけで、今回は「インドネシアで火葬場見学」と題して、東ジャワ・マランのキリスト教華人の場合の火葬の事例をご紹介いたしました。
続いてのブログでは、「インドネシアの火葬事情|イスラム土葬文化で火葬が選ばれる背景と課題」と題して、第1部と第2部の内容のまとめと考察を行います。ぜひご覧ください。